ブータンの映画から 「幸せ」と「近代化」とは(1月17日付)
「お坊さまと鉄砲」という映画が話題になっている。人の幸せとは、社会の仕組みの在り方との関係は、そこに宗教はどう関わるのか、を深く考えさせる作品だが、タイトルから何を想像するだろうか。日本では上映が少なく、しかもかつて国民総幸福量との概念が話題になった仏教国ブータンの映画というだけでも興味深いが、表題の謎への物語展開がダイナミックで娯楽性にも富む。
舞台は、人々が村落共同体の中で貧しくとも互いに助け合ってのどかに生きる社会。そこへ2006年、国王が自ら王政を廃し、民主主義的な議会選挙が導入されることとなる。現実の同国の出来事だ。
役人は選挙のPRに躍起で、習熟のため模擬選挙まで計画。田舎の村でもその手続きが無理やり進められ、村人たちは大混乱となる。これを知った村の僧院の老師は、事態を正すために銃が必要だと言い出し、弟子僧がそれを入手しにいくという流れだ。
有権者登録に、自分の生年月日さえ「知らん。必要ないから」「選挙? 聞いたこともない」と言う人々。主婦は「選挙のせいで村はバラバラになり、支持する候補が違うことで子供までいじめられた」と嘆く。
役人の「全てが選挙のせいじゃない」との反論は、混乱は人間の問題であるという意味でとりあえず正しいが「民主的な選挙で皆が幸せになる」との弁に主婦は「これまでずっと幸せだった」と返す。「世界の人々が命懸けで手に入れた参政権なのに」には「今でも幸福なのに、そんなものに命を懸ける必要はない」と言い、観客の思考は深みに引き込まれていく。
選挙が象徴する「近代化」なるものに対して、模擬選挙で異なる候補者陣営に無理に分けられた人々が互いにののしり合い「あの人が当選すれば暮らしが良くなり、うちの子がいい学校に入れてもらえる」と利益誘導の見本のような場面は痛烈な批判となっている。近代政治に無知な人々の戸惑いよりも、無自覚にそれに流され、欲望拡大のままに本当の幸せの在り方を見失った先進国の人間にこそ、その矛先は向けられている。
「近代化」の呼び声に「それが仏教と何の関係がある?」と僧侶。老師が法要で銃を使って何をするのか種明かしはあえて伏せるが「現代文明や財産よりも素朴な暮らしの幸せ」といった単純ステレオタイプを押し付ける作品では決してなく、心和む驚きの結末は、宗教が昔から人々の平安を支えてきたことも強く想起させてくれる。