石という素材と向き合い続ける石工・彫刻家 齋木三男氏(49)

群馬県中之条町の石材店を兄の齋木利一代表、おいの一男氏と共に営む傍ら、石彫家として国内外で個展を開くなど、芸術家としても活躍の場を広げている。石の温かみを感じさせる石仏は多くの人を魅了する。近年は廃仏毀釈などで損傷した石仏を無償で修復するプロジェクトにも取り組む。
奥西極
石工を志したきっかけは。
齋木 石屋の三男として生まれ、幼い頃から仕事をする父や兄の背中を見ていたこともあり、なんとなく自分もいつかは石屋になるのだろうと考えていました。少年時代はサッカー小僧でしたが、美術への関心もあり、絵を描くことも好きでした。
高校3年の時に父が他界し、漠然と考えていた将来についてきちんと考えるようになり、高校を卒業したら石工になるための修業に行こうと決意しました。
愛知県の石材店で番頭をしていた彫刻家の故加藤亮氏に弟子入りし、5年間、丁稚奉公しました。高校生からいきなり職人の世界に入り、社会の厳しさを思い知らされました。苦しいこともたくさんありましたが、その中で社会人としての基礎をたたき込まれました。師匠に言われた「職人は、仕事をしている姿が絵にならないといけない」という言葉が今でも強く印象に残っています。怒られっぱなしの5年間でしたが、仕事だけでなく多くのことを学ぶことができました。
実家の齋木七郎石材本家に戻り、墓石中心の仕事の傍ら、彫刻家として自分の作品を制作するようになりました。石仏の制作も、その頃に始めました。地元の美術展に出展するなどして少しずつ活動の範囲が広がっていき、様々な仕事やプロジェクトに関わらせていただけるようになりました。
特に印象に残っている仕事は。
齋木 群馬県石材商組合創立50周年記念事業として群馬県庁前に県のマスコット「ぐんまちゃん」の石像を造らせていただいたことや、地元の芸術祭「中之条ビエンナーレ」の実行委員長を務めたことなど、印象に残っている仕事はいろいろあります。その中でも自分の仕事の方向性を決めたのは、霊山・嵩山での観音像修復事業です。
中之条町には地元の人々の信仰を集める霊山・嵩山があるのですが、そこには300年ほど前に祀られた観音菩薩像が約160体あります。その観音群を修復する「平成の大修復」に参加できたことは特に印象に残っています。
毎週末、山に登り、傷んだ観音様を担いで山を下り、修復して元の場所に戻す。その繰り返しの…
つづきは2025年3月12日号をご覧ください