中外日報社は3月26日、第21回涙骨賞選考会をオンラインで開き、藤井麻央氏(38)の論文「泡沫の小集団・信徳舎の活動とその特質」を受賞作とすることを決めた。奨励賞には、道蔦汐里氏(28)の論文「『宗教2世』をめぐる用語と意味の変遷」と、岩井洋子氏(70)の論文「京都学派における天皇論の系譜 ― 転換期の克服と『媒介者』としての天皇 ― 」が選ばれた。
今回は15編の応募があり、最終選考に残った5編を島薗進・東京大名誉教授、末木文美士・国際日本文化研究センター名誉教授、釈徹宗・相愛大学長(現相愛学園学園長)の3人の選考委員が審査した。
涙骨賞を受賞した藤井氏は1986年生まれ。東京工業大博士課程修了、博士(学術)。大谷大真宗総合研究所研究員。受賞作は、大正期から昭和初期にかけて瀬戸内地方を中心に雑誌刊行や集会を行った「信徳舎」の活動に注目。真宗僧侶だった本城徹心、金光教の高橋正雄、臨済宗の照峰馨山らによる超宗派の活動で、その救済体験や宗教的欲求を相互的・共同的に確認する場だったと論じた。近代宗教史としては地方的であり周縁的でもある実践を史資料から丁寧に掘り起こし、捉え直した意義が高く評価された。
奨励賞の道蔦氏は1996年生まれ。東京科学大環境・社会理工学院博士後期課程。受賞作は「宗教2世」の用語および類義語について、それを用いる宗教学・報道・当事者の三つの主体から整理。用語の意味の変遷を明らかにした上で、今後学術的に用いる際の展望を提示した。
同じく岩井氏は1955年生まれ。東京女子大研究員。受賞作は、西田幾多郎をはじめとする戦前から戦中、戦後の京都学派による天皇論の意義を再考。天皇絶対主義を意図するものではなく、天皇を転換期における相対的対立を統一するための「媒介者」として位置付けるものだったと問題提起している。
涙骨賞および奨励賞2編はいずれも紙面に掲載。全文をホームページ上で閲覧できるようにする。
受賞者には表彰状と賞金、涙骨賞30万円、奨励賞10万円が贈られる。
受賞者の肩書はいずれも応募時のもの。
選評と受賞の言葉
隠れた歴史に光 藤井氏 ― 東京大名誉教授 島薗進氏
愛媛県松山の真宗僧侶の本城徹心が1920年に月刊雑誌『信徳』を刊行し、翌年には還俗し豆腐売りを始めた。この雑誌に金光教の高橋正雄と臨済宗の照峰馨山が協力し、さらにはキリスト教徒、また北陸の浩々堂関係者や真宗の他派の人々も共鳴するようになる。『正受』、『更生』といった雑誌がこれを引き継いでいく。このように20年代、30年代に活字メディアを通して、宗教・宗派を超えた宗教的自覚を深める交流が行われていた。
藤井論文はこの事実に初めて光を当てたものだ。背後には宗教の根源は一つだという考えがあり、各自の生き方を振り返ることを重視する姿勢がある。「泡沫」というのは小規模で短期に終わったことを示唆するものだが、宗教の歴史、精神文化の歴史という点では大いに意義がある試みであり、丁寧に資料を集め、隠れた歴史に光を当てており、近代宗教史の捉え返しへの貢献は大きい。
今後も理解深めたい 藤井麻央氏の話
本賞に選出いただき大変光栄です。多くの方々のご支援とご協力を通じて、本城、高橋、照峰に「出会う」ことができました。ありがとうございます。今後も彼らについて理解を深めたいと思っています。関連情報をお持ちの方はご一報ください。
「宗教2世」整理 道蔦氏 ― 相愛大学長(現相愛学園学園長) 釈徹宗氏
「宗教2世」という用語の不明瞭な面が、この論文でかなり議論が整理されるのではないか。大切な視点を提示してくれた一編である。
用語の変遷や社会的背景をおさえながら、様々な用例をリサーチした内容となっている。そのためか、論者自身の立論や論証という面は弱い印象を受ける。また、私の発言の引用部分は少し再考をお願いしたい。私が「カルト2世」という用語を使ったのは、カルト宗教とその他を分けるためではなく、カルト(熱狂的支持)は宗教以外に政治や教育や商業にもあり、また伝統宗教の中にもあるためである。
二世信者や宗教二世問題などといった類義語も含めて、宗教学・報道・当事者それぞれの立場、安倍晋三元首相銃撃事件の以前と以後の変化など、うまく分類しているところを高く評価した。
学術的議論の一助に 道蔦汐里氏の話
このたびは第21回涙骨賞奨励賞に選出いただき、誠に光栄に存じます。「宗教2世」をめぐる用語の変遷を考察した本稿が、今後の学術的議論の一助となれば幸いです。本賞を励みとし、引き続き研究を深めてまいります。
「戦後」にも言及 岩井氏 ― 国際日本文化研究センター名誉教授 末木文美士氏
京都学派の天皇論は、しばしば天皇絶対主義を理論づけるものとして批判される。本論文は詳細に彼らの著作を読み込み、その天皇論はそのような単純なものではなく、天皇を「媒介者」として位置づけるものだと結論する。転換期の対立する立場を融和しながら、歴史のダイナミズムを生かす装置だという。西田幾多郎のみならず、高山岩男、田辺元、尾高朝雄まで検討対象として、戦前戦中だけでなく、戦後の議論へも説き及ぶ力作である。硬直化した対立の続く今日にも示唆するところが少なくない。しかし他方、戦前戦中と戦後では天皇の位置づけが大きく変わっており、そうした歴史状況を配慮せずに同レベルで論ずるのはいささか無理がある。また、論文末に唐突に無意識下の母性原理が出てくるのは不可解である。議論の進め方によっては危険な方向にも向きかねない問題であるだけに、慎重かつ柔軟な議論を心掛けてもらいたい。
魂に食い入る作品を 岩井洋子氏の話
奨励賞有難うございます。「活字やインクの力を借らずに、『空に書かれた文字』を読むものにして初めて時代の尖端を叩き得る」――、これは真渓涙骨の言葉です。「空に書かれた文字」を読み取り、人の魂に食い入る作品を書くことが私の夢です。