30年経ても変わらぬ 被災者を苦しめる国柄(1月10日付)
東日本大震災の復興構想会議議長を務めた故五百旗頭真氏は、30年前の「1・17」阪神・淡路大震災の体験を「災害への対処を考える際の原点」と、著書『大災害の時代』で強調している。
阪神間は成熟した近代都市圏だが、神戸市では高齢者が多く住む古い木造住宅地の大火災になすすべがなく、震災の犠牲者6434人の4割が70歳以上。高齢社会に潜む過酷な現実が可視化された。
経済格差が生活再建の速度の違いとなって表れ、避難所の住環境などによる災害関連死や仮設住宅の孤独死への対策を迫られるようになったのも、この震災からだ。
「ボランティア元年」といわれたほど多くのボランティアが駆け付け、つかの間ながら被災地の内外で「共助」の精神が芽生えた。だが、その一方で平時を前提に制度設計された前例重視の硬直した官僚機構は、有事に機能不全に陥る。そのことを被災の現場でじかに体験した。以後、大災害が発生するたびに似たような光景を目撃する。つまるところこの国は、災害対処を考える「原点」としての貴重な体験を、今日に至るまで教訓として生かしてこなかった。
昨年の能登半島地震は、そのことを改めて痛感させている。
阪神・淡路大震災の直前、列島が地震の活動期に入ったとして「大地動乱の時代」を警告した石橋克彦・神戸大名誉教授は「東京一極集中の解消と分散型国土の創成」を訴えた。人口過多の首都圏で大地震が発生したときの破局的な事態を恐れてのことだが、大都市への人口集中は止まらず地域の過疎は逆に加速している。都市でも地域でも、命を最優先するリスク管理を考えずに国づくりが進められてきた。能登の悲劇は、予想されたものだったとさえいえる。
遅々とした復旧・復興に被災者の苦難は深く、避難中などに亡くなる関連死が続出している。その背景には、一例に過ぎないが能登地方で働く看護師が東京都内の大病院一つの看護職員数より少ない(日本看護協会機関誌『看護』から)という厳しい現実がある。ネットでは「過疎地の災難は自己責任」と、無責任な言説を目にするが、その心根の貧しさは悲しい。
五百旗頭氏は「この列島の住人は『連帯と分かち合い』をもって支え合う以外に大災害を克服できない」と結んでいる。南海トラフ地震も想定し、誰もが被災者になり得るという自覚のもとに「支え合い」の心を広げていかねばならない。
東日本大震災などで被災者に寄り添ってきた努力の上に、その道筋は見えてくるはずである。