悩みに寄り添う 不妊治療の体験手記集(10月25日付)
無精子症の夫が補助医療で妻との間に子供を得たケースを紹介する手記集『精子が、ない?! 私たちは親族からの精子提供を望んだ』(はる書房)が出版された。不妊治療で知られる諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)で施術を受けた患者の会の編集で、具体例が様々に収録されている。
子供ができないので受診したら「精子がない」と診断された夫は多くの場合、描いていた人生設計が崩れる。当初は妻の不妊と思い込んでいたりすると激しい自責の念に苛まれる。「なぜ自分が」と深い苦悩と絶望の淵に立たされ、妻にも打ち明けられずに号泣する人も。同書では、夫婦・両親と考え抜いて夫の父親から精子提供を受け出産した例などが紹介される。
同クリニックの根津八紘院長は、代理出産や複数胎児の障がいを理由にした減胎手術などを産科婦人科の学会指針に反して実施しており、生命倫理の面で物議を醸している。この夫婦外からの精子提供も、そして世間で広がる第三者からの精子売買にも社会的批判がある。しかし、子供ができないことを誰にも相談できず、場合によっては自死まで思いつめて悩み苦しむ人がいることを明らかにし、論議を促すという意味で、同書には問題提起の意義があろう。
子供が欲しいという望みはもちろん、必ずしも「我欲」とは片付けられない。半面で、生殖補助医療を一方的に美化することには、産めないことは不幸だという差別的な意識を流布する危険性がある点も生命倫理に詳しい学者から指摘される。同クリニックは社会的判断は置いて、目の前で悩んでいる個別の人に何とか“救いの手”を差し伸べるという姿勢で一貫している。その手段には倫理的に問題視されて然るべきものもある。
だが一方で「そこまでして子供を産まなくても。子のいない人生もまた素晴らしいものだ」と至極もっともな見解であっても、「それが、自分は子宝に恵まれて幸せな生活をしている人から慰めで言われるなら何の意味もなく、当事者を傷つけるだけ」との院長の主張にも理があり、その点は宗教者や研究者も認めていた。
同書には「悩みをしっかり聴いてくれる人がいて助かった」との声が何件も収録されている。要は、家族形成を含む個々人の生き方と人生観であり、そこで苦悩する人に対してステレオタイプの一般的な対応ではなく、当人の個別的な訴えに耳を傾け、気持ちに具体的に寄り添うことが重要だ。この課題において、宗教者に役割があるとすればそれであり、でなければ相手にされなくなるだろう。