旧優生保護法の加害 障がい者とハンセン病患者(9月20日付)
障がいを理由に不妊手術などを強制した旧優生保護法を違憲と断じ賠償を命じた最高裁判決を受け、被害者と国との和解が成立した。司法判断でやっと動き出す国の姿勢は醜いが、補償の立法も準備中で、救済が何とか途に就いた。
法を根拠とした国家による人権蹂躙では、ハンセン病患者、元患者への抑圧もまた苛烈だった。旧「癩予防法」で、そして旧優生保護法を根拠に患者男性への断種、妊娠女性への中絶が当然のように強制的に行われた。
岡山県の国立療養所邑久光明園に子供時代から70年余も収容されていた女性(80)は若い頃、知らずに入った園内の医学研究室でホルマリン漬けにされた嬰児や胎児の標本を見てしまった。恐怖で「ここでは子供を産んではいけないのだ」と痛感したと、交流に訪れた宗教者に話した。
他の入所者も結婚してもほとんどが子供を諦め、妊娠してしまった女性は「2、3人ためておいて、医師が一度に中絶したと聞きました」という。堕胎されて小さな泣き声を上げる胎児を医師がバケツの水に漬けて抹殺したとの証言もあった。そのように強制手術で摘出された《いのち》は「標本」として各地の療養所に保存された。人間のすることかと思うが、国家が法をもって推進したのだ。
法は一般に、その実効性を担保するために強制力を伴い、一方で社会に誤った考えを流布する。強制隔離に加えて断種という耐え難い抑圧に、かつて患者たちが抗議活動をしたこともあったが、反抗した者は園内の監獄である監禁棟に収容された。戦後すぐ特効薬の導入で治療可能になったにもかかわらず「恐ろしい病気」との偏見は根強く、世間へ出ても生活のあらゆる面で差別され続けた。
今回、ようやく救済対象になった障がい者とハンセン病元患者との違いは、後者への人権侵害が一般社会からの隔離によってより隠蔽されているという点だ。しかし、共通する間違った偏見、差別意識は拡大再生産される。
「優生保護」の名が示すように、強制中絶や断種の対象とされる障がいを「忌まわしいもの」と決めつける優生思想が、例えば1966年から兵庫県などで行政が率先して推進した「不幸な子どもの生まれない運動」を全国展開させた。
現在に至るも新型も含めた出生前診断による胎児の選別と中絶、「不治」の病や障がいを理由にした「安楽死」の推進主張、そして重度障がい者たちを虐殺した「津久井やまゆり園事件」もその延長にある。いのちの専門家たる宗教者の関わりが待たれる。