泥臭い世界
ハンセン病家族訴訟で原告団長を務めた林力氏(1924年生まれ)から、幼い頃に篤信の父に連れられて真宗寺院の法座によく通った話を聞いたことがある◆「十八願とか十九願とか難しい専門用語を用いながら浄土や往生などの教義が説かれていて、門徒衆もその意味をよく理解して聞いている。当時の門徒衆の多くは無学でしたが、宗教に関しては耳学問を通して高度な認識を持っていた」◆それを知り合いの僧侶に伝えると「『十八願』や『十九願』じゃない。『じゅうはちがん』や『じゅうきゅうがん』。識字力のない門徒たちが受容した聞法の世界はそのようなものだったはずです」と教えられた◆ここに感じられるのはある種の土俗性で、例えば、浄土真宗華光会を創始した伊藤康善著『仏敵―求道物語』に登場する奈良の門徒衆からも同様のものが濃厚に漂う。真宗では念仏信仰によって形成されたその土地固有の文化的風土を「土徳」と表現することも想起させられる◆現代の真宗教団を見ると「都市在住で、一定水準以上の教養や経済力、余暇を持ち、かつちょっと意識高い系の人」や「スタイリッシュな布教」を想定している節がある。その善しあしは一概には論じ難いが、多くの僧侶との間に認識の齟齬があるような気はする。ある老布教使は「現場は泥臭い“浪花節の世界”なんだ」と言う。(池田圭)