地下鉄サリンから30年 社会変化踏まえ教訓生かす(3月7日付)
来る20日で、人々を震撼させた東京地下鉄サリン事件から30年を迎える。これを機に公安調査庁は2月21日に特設ページ「オウム真理教問題デジタルアーカイブ」をインターネット上に公開した。遺族の証言や事件当時の写真、動画や元信者の手記などもあり、多角的な視点から情報を公開している。かなり念入りに資料を集めたアーカイブだ。事件の風化を防ごうという強い意図がうかがえる。
オウム真理教が引き起こした数々の凶悪な事件は、21世紀に生まれ育った世代にとって過去の出来事である。オウム真理教制作のアニメが面白おかしく編集されて「ユーチューブ」などにアップされると、興味本位で見るだけの人も増えそうだ。その意味でも、こうしたアーカイブは必要である。
この事件は宗教界や宗教研究者にとって大きな転換点となるものだった。宗教界にとっては、一般社会の宗教を見る目が非常に厳しくなったことを肌身で感じたはずである。宗教研究者にとっては、一部の研究者が事件前に麻原彰晃やオウム真理教を極めて高く評価したために、研究対象を見る目が甘いと指摘されることとなった。
その後、宗教を巡る社会状況は複雑化の一途である。カルト問題は多様化し、グローバル化の影響もあって、個々の宗教活動への価値判断は難しくなる一方だ。日頃自分が得ている情報の偏りには、一層の注意を払う必要がある。
インターネットが広まる以前から、新聞・雑誌やテレビなどマスメディアの報道が出来事の一面を捉えたものでしかなく、時にはひどく偏った角度になることには、常に注意が促されてきた。ただ新聞・雑誌やテレビの報道の場合、媒体の種類は比較的限られる。媒体による違いも探しやすい。
インターネット時代の情報の偏りは想像を絶する。互いに予想もできないほど異なり、理解不能な見解が無数にうごめいている。であればこそ、心掛けるべきことがある。それは自分が抱いている人生観、価値観などとは反するような立場の情報にも目を配ることである。
これは思いのほか精神的負担がかかるし、細かな注意が必要である。だがそれを避けて同じような意見を持つ人々のクラスターに安住し、敵を見つけてひたすら攻撃するという人が増えると、社会の分断は悲惨な方向に向かう。
宗教への警戒をもたらしたオウム真理教事件から、どのような教訓を得るべきか。どこに焦点を当てようと、刻々と変化する社会状況、特に情報環境の変化をしっかり捉えておかなければならない。