トランプ大統領再就任と二つのアメリカの宗教 息づく小さな者たちの力
東京大教授 伊達聖伸氏
昨年末に刊行された髙山裕二『ロベスピエール』(新潮選書)を共同通信で書評する機会があった。評伝だが、ポピュリズム、権威主義、陰謀論など現代に通じる主題が明らかに意識されている。著者はこの「独裁者」が人民との透明な関係性を信じていた有徳の人だった点を強調しており、書評の末尾に私は、フランス革命期と現代の最大の違いは政治経済上の支配者に徳を期待できる信のリアリティの消滅と記した。
書きながら、だが待てよと思ったことが実はひとつある。トランプのアメリカでは、本人と「信者」のあいだではこのリアリティが生きているのではないかと。もとより客観的に見れば、多様性を否定し、他者の苦しみを理解も想像もできない人物を有徳とは到底言えない(一方、ロベスピエールには社会の弱者に味方した面がある)。それでも宗教的であることはできる。
1月20日の大統領就任式では、福音派のフランクリン・グラハムがトランプに神の加護を祈った。ユダヤ教のラビ、カトリックの神父など複数の宗教指導者が参加。無教派のプロテスタント牧師は、トランプが昨年の暗殺未遂事件で「ミリ単位の奇跡」で命を救われたことを神に感謝した。トランプ自身も「神のみが予期せぬ出来事が現実化するのを防いだ」と評した。
道徳的欠点を抱えるが偉大な政治宗教指導者であるとして、ダビデにトランプをなぞらえる向きもある。ダビデは王の権力を利用して部下の妻バテシバと交わり、その部下が殺されるように仕向けた。ただ、ダビデは預言者ナタンの言葉を聞いて、自分が罪を犯したことを認めた。トランプが自分の罪を認識して悔いることなどあるだろうか。
21日の超教派の礼拝では、米国聖公会主教のマリアン・バッディがLGBTQの人びとや移民たちに言及しながら、大統領に「神の名において、今恐怖におびえている国民に慈悲を与えてください」と要請した。トランプはこの説教を評価せず、逆に国民への謝罪を要求した。フランスの2人の女性神学者は、バッディ主教の勇気を讃えて支持する文章を『ル・モンド』に寄稿した。大統領就任式でイーロン・マスクがナチス式敬礼を思わせるポーズを取ったことも踏まえ、記事はナチスに対して抵抗したドイツの牧師ボンヘッファーの例を引いている。
バッディの抵抗は、大地を耕し、ビルを清掃し、食品工場で働き、皿洗いをし、病院で夜勤をする「小さな者たち」に注目する。青木真兵・光嶋裕介・白岩英樹『ぼくらの「アメリカ論」』(夕書房)は、《征服者/強者》のアメリカと《被征服者/弱者》のアメリカがあることを見据えつつ、前者の論理を押し返し、後者の倫理を掴み直すことを課題ととらえている。竹田ダニエル・三牧聖子『アメリカの未解決問題』(集英社新書)は、アメリカは多くの問題を抱えているが、それを見据えて乗り越えようとしている人たちも多いことに注意を向けている。一見宗教から話題が逸れていても、そこには拡張的で帝国主義的なアメリカの宗教性に対抗しうる、小さな者たちの力というアメリカのもう一つの宗教的伝統が息づいていると考えられる。