ケネディとトランプ 正反対故に募る不安(4月11日付)
冷戦さなかの1962年10月、米国とソ連が核戦争寸前に立ち至った「キューバ危機」は、ケネディ・米大統領とフルシチョフ・ソ連首相(いずれも当時)の決断で破局を免れた。人も世界も意のままになるとでも思っているかのような2期目のトランプ大統領の奔放な関税政策が貿易戦争に発展し、軍事衝突の危険性にまで高まったらどうなるか。ケネディの危機回避策と対比して考えておくのも無意味ではなかろう。
キューバにソ連の弾道ミサイル基地と核弾頭の存在が発覚、米政府中枢で基地空爆の可否などを巡り厳しい論争が続いたことは映画「13デイズ」でも描かれた。大統領の弟、ロバート・ケネディ司法長官(当時)の回顧録によると、対応策を協議する委員会で、大統領は意見が対立することを望み、全員に自由、平等、時間無制限の発言機会を与えた。また、自分におもねる討議にならないよう、会議への参加を避けたという。
委員会の討議を踏まえ、ケネディは「海上封鎖」を決断したが、その間、欧州と中南米諸国、北アフリカの国々からの支持・協力獲得に奏功し、またフルシチョフ首相とソ連の立場を考え、恥をかかせたり侮辱したりしない姿勢を貫き、平和共存への道を開いた。
ロバートは、多様な見解に耳を傾けること、また同盟国との友好の維持が死活的に重要であることを大統領は示したと称賛、さらに「危機の究極的な教訓は、他国の靴を履く、つまり相手国の立場になってみることの重要さである」と述懐している。
回顧録は、大きな間違いがないことが裏付けられている。ロバートが兄の心中を美化した可能性はあるが、それよりも驚きはトランプ大統領の言動が、ことごとくケネディの逆を行っていることだ。
戦争は、突如起こるものではない。小さな判断ミスや誤解、行き違いが重なり、互いに引けなくなって開戦へと突き進む。その時々に、トランプ氏への「忠誠心」だけで固めた「米国第一主義」を掲げる排外的な現政権に、まっとうな判断を期待できるだろうか。
米大統領は「核のボタン」を手にする。それを念頭に米国の精神科医らが1期目のトランプ氏について、共感性がなく衝動的、攻撃的で明白なうそを押し通すなど、その危険性を『ドナルド・トランプの危険な兆候』で警告していた。だが、岩盤支持層の中核であるキリスト教福音派はトランプ氏を支え続ける。信仰によるのなら異は挟みにくいが、政権を暴走させない努力は怠らぬよう、切に願う。