震災の記憶
東日本大震災から14年が経過した。当時仙台に暮らしており、経験したことのない長く強い揺れに突然見舞われた。帰宅しようにも停電で信号機が止まり、車は大渋滞。カーラジオからは深刻な事態をうかがわせる声が絶え間なく聞こえてきた◆窓の外に雪がちらつき始め、厳しい冷え込みを覚悟したことを覚えている。住んでいた年代物の寮の暖房器具がもっぱら石油ストーブだったことは幸いだった。寮生で食料を持ち寄り、ランタンの明かりの下でカセットコンロで煮炊きして食いつないだ◆煌々と騒がしかった市街地は息をひそめ、見上げると満天の夜空。充電切れ間近の携帯の小さな画面で垣間見た、押し寄せる津波。情報源はほぼラジオだけで、スーパーやガソリンスタンドには長蛇の列。あの数日間の焦燥感や不安感は今でも鮮明だ◆沿岸部や原発の状況を詳しく知ったのは電気が復旧してからだった。目に飛び込んできたのは原子炉建屋の上部が吹き飛ぶ衝撃的な映像。幼子を連れて親類を頼り一時避難する人、安否不明の肉親を捜し求めて必死に避難所を巡る人、どこかまだ遠い世界の出来事のように傍観する人――様々な人間模様が繰り広げられた◆震災によって人々の人生や人生観は大なり小なり変化せざるを得なかったように思う。老朽化が進んでいた寮は地震にとどめを刺され、間もなく取り壊された。(佐藤慎太郎)