真宗の倫理構造
ここ10年余りの浄土真宗本願寺派は倫理を主題化しているように見える。例えば、2014年に就任した大谷光淳門主が提唱する「念仏者の生き方」「私たちのちかい」「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」にはある種の行動規範が強く説かれている◆この問題意識は光照・前々門主時代の「浄土真宗の生活信条」(1958年)、光真・前門主時代の「教書」(80年)にもみられるが、大きく前景化しているのは近年、宗教者の社会への積極的な関わりが宗教界の課題になっていることと無関係ではなかろう◆事実、本願寺派が2012年に始めた御同朋の社会をめざす運動(実践運動)は宗門関係者に社会活動を強く促す性格を濃厚に持っている。そのような倫理的姿勢を社会に示すことは当然、伝道にも関わる◆もっとも、阿弥陀如来の本願による「そのままの救い」を説く教義から直接的に規範を説明することは難しい。恐らくその倫理性はあらかじめ設定した善行の実践ではなく、信を得た後に事後的に生じる構造をとる。前記の各門主の言もおおむね「信を得たら」という論理だ◆ただ、その倫理的振る舞いが具体的にどのような形で発現するのかは不確定だろう。真宗は「生き方を問わない教え」でもある。この問題系は昨今の新しい「領解文」問題の決着のいかんを問わず、課題であり続けるように思われる。(池田圭)