人柄見込まれ教誨師に 一瞬の生き方 重み説く
大津市・日蓮宗本要寺 中紙賢孝住職
京都刑務所や大津少年鑑別所で教誨師を務め、受刑者から年間20件ほどの相談を受ける。身長180㌢、体重100㌔を超える大柄な見た目とは対照的な人懐こい笑顔が印象的で、2013年に日蓮宗滋賀県宗務所の当時の宗務所長から「教誨師向きの性格」と見込まれ、滋賀県教誨師会の一員となった。
同年から22年までは滋賀刑務所(同年に業務停止)に所属。教誨件数は年間で100件を超えた。他の教誨師の年間平均20~30件と比べると異例の多さだ。旧滋賀刑務所に比べて重刑の受刑者が多い京都刑務所では教誨依頼が殺到することはなくなったが、ざっくばらんな話で相手の心をほぐすスタイルは変わらない。
初見では食べ物の話から入ることが多い。きっかけは監房の本棚にグルメ本が収まっているのを見たことだった。「受刑者は外のことがすごく気になるようで、特に興味があるのが食べ物だった」。ちまたで話題の飲食店の話をすると「最近できたあのラーメン屋はどう?」など受刑者から「食レポ」を依頼されたこともあったという。
半面、宗教の教えを直接説くことはほとんどしない。受刑者から亡くなった父親の供養を頼まれた際に「南無妙法蓮華経を唱えなくてもいいから、好きな食べ物をおやじがうまそうに食べているところを思い浮かべてほしい」と伝えた。読経後、感想を聞くと「自分も腹が減ったけど、何だか満たされた気持ちになった」との答えが返ってきた。
「人に尽くしなさいと口でいくら言ってもなかなか伝わるものではない。人に尽くす喜びを感じてもらわなければいけない。メロンを食べたことのない人にメロンの味を伝えようとするのが難しいのと同じです」
東京の在家出身だが、曾祖父が日蓮宗僧侶だった。高校時代から宗教に関心を持ち、学校を休んで堀之内妙法寺(東京都杉並区)の法華千部会に参加して先生を心配させたほどだった。高卒で大手仏具店に就職したが、2年で辞めて立正大に入学。そこで知り合った友人の縁で、2000年に京都府京田辺市・法華寺、16年に大津市・本要寺の住職に就任した。
出所しても再び刑務所に戻ってくる人も少なくない。「出所後は夢を持つのも大事だけど、一期一会、一日一日の積み重ねが信頼につながる」。一瞬の中に地獄も仏の心も宿っているとの思いから、一瞬をどう生きるかの大切さを説き続ける。
(岩本浩太郎)