子供たちのガザ ドキュメンタリー映画で(2月28日付)
映画「ぼくたちは見た―ガザ・サムニ家の子どもたち」が各地で上映され共感を広げている。パレスチナに繰り返し取材に通う古居みずえ監督のドキュメンタリー作品だ。イスラエルの激しい空爆と地上侵攻後、がれきの山のそこここに多くの子供を含む犠牲者の遺体が横たわるガザの街。そこで懸命に生き延びる子供らの証言でつづられる内容は凄惨極まりない。
自宅をイスラエル兵に急襲され、手を上げて無抵抗を示す父親が目前で銃撃された男児の目は絶望でうつろだ。血の海で泣き叫ぶ母も撃たれ、抱かれた幼い弟も殺された。一軒の家はミサイルで直撃され、女児の兄嫁は頭が吹き飛んだ。そのような虐殺の数々が克明に語られる。
兵は家族を追い出した挙げ句、二度と住めぬよう家を徹底的に破壊し家具を全部外へ放り投げる。そしてクルアーンに脱糞し、壁に「ダビデの星」を書きなぐった。かつてのナチスと同じ行いだ。
事態を「宗教対立」とするステレオタイプは誤認であり、侵攻する側から一方的に住民の生活や文化に向けられた憎悪が、人間として卑劣な行為に表れたのにほかならない。何度もアップにされる子供らのキラキラした茶色の瞳に、何の罪もない人々には理不尽でしかない地獄が繰り返し映ったかと思うと、やりきれなさが募る。
一方で、子供らしい明るさで廃虚で遊び、兄弟げんかするシーンもある。だが、「最近、いつ笑った?」との問いに「私は笑わないわ」と答える女児。惨禍による「心の傷」を少しでも忘れさせようと遊戯を指導する大人に、遺族となった母親は「忘れるなんて無理よ」とこぼす。
自身もけがを負わされた少年は父が射殺された場所で銃弾の薬きょうを拾い集める。「絶対に忘れないために」と言うその少年からは、美術を学習し「画家になって父母を殺した兵士を描きたい」という言葉も聞かれた。
だが長年の戦禍にもかかわらずガザでは戦争遺児がストリートチルドレンになることはなく、大家族のような住民たちが世話をしていると知ると、住んでいるその場所、故郷で暮らし、生き続けること自体が力だと理解できる。「イスラエルが嫌がることをするの。祈ること、我慢強いこと、深い信仰で抵抗すること」との少女の独白が胸に突き刺さる。
建国以来一貫して、現在も攻撃を継続するイスラエル、それを後押しする米国の大統領が、民族浄化とも言える住民の強制移転を言い立てる今、日本の宗教者のすべきことは何だろうか。