個人情報保護も緊要 自死対策にきめ細かさを(2月21日付)
自死対策はボトムアップできめ細かく――。川崎市で以前に開かれたシンポジウム「学び、つながり、つくる 自殺対策基本法20周年に向けて」で、国の総括的な指針はそれぞれ事情の大きく異なる市町村、ましてや地域にはそのまま当てはまらず、各自治体職員や自死念慮者に個々に寄り添う宗教者を含む民間支援者の役割が大きいことが確認された。
大枠の政策だけでなく、様々な困難で自死に追い詰められる人を支え、包み込むような地域での活動の重要性が「まちづくり」までもを視野に入れて指摘され、シンポの中でも活動が期待された僧侶ら寺院教会関係者はその後も地道な取り組みを続けている。
講演では専門研究者が「自死予防介入モデル」を「全体的・選択的・個別的」に分類し、各レベルの有機的連携を強調。それによれば、宗教者が広く「いのちの重み」を社会に発信するのが「全体」で、具体的に悩みを抱える人々に対して電話や手紙などによる相談の窓口を開き、アクセスを呼びかけるのが「選択的介入」だ。そして「個別的」とは実際に個人の相談に応じ、ケースによっては福祉機関や医療者につないで支援することであり、この各段階がしっかりつながっていることが緊要だ。
シンポでは一方で、自死者とその遺族の個人情報保護の在り方が深刻な課題として浮かび上がった。家族が自死した直後に、検視に来た警察官に生命保険の有無も含めて根掘り葉掘り事情聴取され、ゆっくり別れを告げたくても司法解剖がある。「ただでさえ動転しているのに気持ちが混乱する。死者にも、もちろん生きている家族にもプライバシーがあるのに」との遺族の叫びは重い。
自死の実例を情報として蓄積し、防止計画策定に利すると説明されるが、公的機関や支援団体に個人情報の一部が明かされる実態もある。「故人の気持ちを考えると防止策に役立つことは大事だが、公開の範囲を遺族に選ばせてほしい」との要望はもっともだ。
いまだに自死が白眼視され、事情によっては近所どころか親戚にさえ隠さなければならない状況もある。子供が命を絶って悲嘆のどん底にいるのに「親の育て方が悪かったのでは」といった噂が広がる例もある。自死の事実を知人にも打ち明けていないのに役所や関係機関から「遺族支援」の案内が来たりするという。良かれと思っての対応に違いないが、壊れる寸前の遺族の心境は複雑だ。そんな中、追悼法要など宗教者の取り組みで遺族の気持ちに添う深い配慮がなされているのは救いである。