最期のブッダ 無常の世に永遠の道を説く(2月14日付)
ブッダの遺徳追慕と報恩のために営まれる涅槃会(2月15日)が近づくと、仏伝に記された臨終の姿が偲ばれる。最後の旅路における出来事は数種類の典籍を基にした経典に伝えられている。死に臨んでブッダが遺した言葉は、生あるものには必ず死が訪れるという諸行無常の道理であり、その行いは生けるものへの慈悲の実践にほかならなかった。
ブッダは晩年、当時インド最大の強国だったマガダ国の首都・王舎城の鷲の峯(霊鷲山)にいた。その時、マガダ王は、繁栄し勢力を誇っていたヴァッジ族を征伐しようと考え、大臣のバラモンをブッダの元へ派遣して是非の判断を仰いだ。ヴァッジ族は都市国家として発展し、共和制により政治を行い、万事を会議で決め、商工業を盛んに営んでいた。その広大な領域と富を手に入れることをマガダ王は望んでいた。
かつてヴァッジ族に衰亡しないための法を説いたブッダは、ヴァッジ族がこの教えを守っているかどうかを弟子アーナンダに確かめ、「ヴァッジ人がこの法を守っている限り衰亡はないであろう」とマガダ国の大臣に告げた。大臣はヴァッジ族をマガダ王が攻めるわけにはいかないことを理解し、座を立って去ったという。
最後の旅はここから始まる。ブッダはごくわずかの弟子を伴い、王舎城からナーランダ、パータリ村を経てガンジス川を渡り、幾つもの村や町を過ぎて、涅槃の地マッラ国のクシナーラーに到着する。途中の村で雨安居に入ったブッダは、病の苦しみに耐えつつ禅定に入り、入滅を決意した。
アーナンダが説法を請うと、こう語った。「私は齢を重ねて老衰し、八十歳となった。古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動くように、私の体も保っている。しかし向上に努め、一々の感受を滅したことで心の統一に留まるとき、身体は健全である。それゆえに、この世で自らを島とし自らを依りどころとして他人を依りどころとせず、法を島とし法を依りどころとして他のものを依りどころとせずにあれ」――「自灯明、法灯明」の有名な言葉である。
パーヴァー村で鍛冶工の子チュンダから食物の供養を受けたブッダは、死に至る病に襲われる。クシナーラーに向かって歩を進めるブッダは何度も樹の根元に坐して身体を休め、水を飲み、澄んだ川に入って沐浴した。チュンダをかばい、チュンダの供養に最上の功徳があると伝えさせた。涅槃経は、ブッダの最期を「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」の詩をもって伝えている。