遊んで、先生② 気持ちを「好き」に向けること
不登校の子どもと「まず遊ぶ」ために「ともだち診療所」の紫英人院長はその子と何が好きかを話題にする。ある時、高校2年の男子生徒が父親に連れられて診療所に来た。「眠れず、朝起きられない」と訴えるので診察し、各種の検査もした。だが何度目かに「何も異常はないよね」と告げると、「学校に行けていません」と打ち明ける。典型的事例だが、ここからが患者によって皆異なる。院長が「君は何が好きなの?」と尋ねると、生徒は「走ること」とぼそりと答えた。
聞くと、長距離で大学駅伝出場が夢という。だが高校で陸上のクラブに入ったのに練習仲間との人間関係がしんどく、それも不登校の要因だった。「走る楽しさをぜひ教えてほしいな」。紫院長が身を乗り出すように持ち掛けると、生徒の表情が変わった。どちらも本気だ。数日後から夕方に近くの道路を二人で走る。5キロ程度を30分ほどかけてゆっくり。アップダウンのあるコースで生徒は走り方のコツを得意げに話し、それが毎週続いた。生徒は中学時代から足が速くいつもトップだった。しかし父親がそれを自慢し駅伝への強い期待を話すのがプレッシャーになるようで、自宅にいては一人で練習できなかった。
雑談しながらの二人のランニングによって「息子がとてもうれしそうです」と父親は院長に感謝した。生徒は高校3年になって徐々に登校できるようになり、誰も知人のいない県外の大学に進学して長距離走を続けた。
「彼のおかげで走ることの喜びに目覚めた」紫院長も日課になり、翌年フルマラソンに挑戦して完走した。その後も毎年6、7回出場しており、社会人になった生徒は「先生みたいにフルマラソンで頑張りたい」と伝えてきた。「自分を生かせ、喜びを感じられることを一緒に見いだせるのが大事です」と院長は医師としての姿勢を語る。
「遊び」は「治療する側」と「される側」という立場の垣根を取り払い、心の緊張を解放する。オセロゲームが好きだという中学1年の男子生徒がいた。対戦する院長は「いつもコテンパンにやられ」、粘って隅を3カ所取っても、にやりと笑ってすぐに逆転された。院長が悔しがるほどに生徒の表情が得意げに輝く、そこに「学校に行けない自分」という否定的感情とは異なる自己肯定感がうかがえるという。それが、一見“心の闇”に見えるような心理状況を照らすこともある。
殺人を犯した少年が「人を殺してみたかった」と動機を供述したことが報道された事件の翌日、ある中学2年の男子生徒が教師に同じことを言ってきた、と学校から院長に相談があった。来院させ、その発言には触れずに話をすると将棋が得意だという。確かに強く、通うたびに何度対局しても院長が負けた。最後に、あと数手で王を取られるという場面で「ひっくり返してもいいかい?」と提案すると、生徒が「いいよ」とほほ笑む。攻守入れ替わるように盤を回転させたが、それでも院長は負けてしまった。「お父さんが……」。そこで生徒は、すご腕だった父親によく将棋を教えてもらった思い出を口にした。
幼い頃から“お父さん子”だった生徒の支えであった父は、半年前にがんで亡くなっていた。生徒の心に「死」というものがどんな傷を負わせたのかは分からない。多くの不登校児に接してきた紫院長は「不登校の原因を見つけて退治することより、気持ちを好きなことに向けるのがまず第一です」と強調する。
(北村敏泰)