臨機応変の被災地支援 宗教者の経験生かすとき(8月30日付)
能登半島地震から8カ月が経過し、防災の日を迎える。関東大震災から101年である。8日には日向灘を震源とする地震があり、南海トラフ地震への警戒も促された。地球温暖化に伴う異常気象も実感され、水害の頻度も強度も増している。防災への意識は高まっているようだが、必ずしも十分とは言えない側面はまだまだ多い。
その一つは災害に伴う格差の影響をどう抑えるかという課題である。貧困層や高齢者が増え、地域格差も増大し、災害弱者がますます出やすくなっている。能登半島地震ではこのことが痛感された。
奥能登ではなかなか仮設住宅入居ができず、いまだに水道が使えない家々も多い。遠方からの水道工事業者のボランティア活動に期待している地域もある。壊れた家屋が公費解体によって片付けられるのはいつのことか。
将来の見通しが立たず、途方に暮れる人が出るとしても不思議ではない。孤立しがちな集落は高齢化も進んでいる。今はその日その日の暮らしで精いっぱいだが、今後の地域がどうなっていくのか、それを展望しつつこれからの生活をどうするのか不安とともに思い悩んでいる被災者が多いはずだ。
行政や医療機関等の支援はなかなか住民の生活現場に届かない。その中で、ボランティアによる支援には大きな役割がある。宗教者や宗教団体による支援が果たす役割に目を見張ることもある。
宗教者によるボランティア的な支援活動の意義は、東日本大震災で注目されるようになった。宗教者が被災地で長期にわたって支援活動に入り、被災住民との交流が注目される場面も目立った。臨床宗教師の養成が始まり、喪失に向き合うグリーフケアや傾聴活動に関心が寄せられる動向も生じた。
能登半島地震では傾聴活動が活発に行われているとはいえない。これはそもそもボランティア活動がしにくくなっていることにも一因がある。また、復興が遅れていて、いまだに壊れた家屋の片付けや生活基盤の整備などが課題となっていることにもよっている。
そうした中で、生活基盤の整備から炊き出し、そして傾聴に至るまで様々なニーズに臨機応変に対応している宗教者・宗教団体の支援活動がある。これまでの支援活動の経験から学んだ蓄積があってこそできることだ。また、地域社会における住民の生活の在り方とそこでの困難を鋭敏に察知する能力も役立っている。被災地での宗教者のこうした役割についての認識は、広く現代社会における宗教の役割を考え直すことにも通じるだろう。