文字が浮く
「誤字が浮いて見える」とベテランの校閲記者が言っていた。そんなことがあるのだろうかと半信半疑で聞いたが、新聞紙面を制作する整理担当になった時、似たような経験をした◆その日は記事の上がりが遅く貧乏揺すりばかりしていると、降版まであと5分という時刻にどっと出稿されてきた。記事の価値判断をする時間も見出しを付ける時間も、そもそも記事を読む暇さえない◆原稿を持つ手が震え頭の中でただ焦りが空回りしていた時、急に単語が幾つか浮かび上がって見えた。見出しにとるべき要素なのかを考える余裕もないまま殴り書きし、制作コンピューターに走り無我夢中で記事を割り付けた◆数分遅れたものの紙面はなんとか校了できた。人心地ついて記事を読んでみると、的外れな見出しにはなっておらず胸をなで下ろした記憶がある。思い返しても、なぜそんなことができたのか、我がことながら信じられない◆スポーツ選手のいわゆるゾーン状態に近いのかもしれないが、ベテラン校閲記者は日常的に誤字が浮いて見えるというのだから、長年月の練磨に敬服するばかりだ。世の中には超人的な腕を持つ職人もいるし、首から上は汗をかかないという役者もいる。プロフェッショナルとは何なのか、人それぞれに見解はあろうが、仕事に即した体が出来上っている人のことを言うのだとすると、道はまだ長そうだ。(有吉英治)