リンカーンとトランプ ネットが誘う危うい選択(12月4日付)
1861年、アメリカ合衆国第16代大統領に就任したリンカーンは、共和党内で指名を争った政敵3人を国務など主要閣僚に任命した。いずれもリンカーンより格上の大物で、露骨に大統領を侮る人物もいた。奴隷制を否定する共和党大統領の誕生で南部諸州が連邦から離脱を始めた時代である。
米国の歴史家による著作『リンカーン』南北戦争編によると、リンカーンは後年、強力な政敵を選んだ組閣について「党内では彼らこそが最も有力であり、私には彼らの奉公を国から奪う権利はなかった」と語っている。国家統合の国民精神を守るため派閥抗争の危険を冒してでも力のある政治家を求めたのは、彼らを統率できるという自信もあったのだろう。
同書はリンカーンのその自信と政治的能力の源は感受性や共感、思いやりや誠実さなど人としての高い徳に根差すことを、言葉を変え繰り返し述べている。現代の米国の学者らによるランク付けでもバイデン氏に至る46代の大統領の中でリンカーンは最も偉大と評価されている。情報媒体が新聞しかなかった時代であっても、米国民は最良の人物を大統領に選ぶ眼力を養っていたわけだ。
一方、ランク最下位はトランプ氏である。数々の罪で訴追され、倫理や道義などを意に介さぬ人物のようだが、エリートや不法移民への大衆の怒りを巧みに捉え、時代の空気を鋭く読み取って大統領に返り咲いた。新政権のキーワードも、国ではなくトランプ氏への「忠誠心」と報じられている。
トランプ氏成功の大きな要因がネット交流サービス(SNS)の活用にあったことは疑えない。短絡は慎まねばならないが、SNS大国で情報があふれる時代になって逆に米国民は、政治家を見る目を曇らせたとはいえる。敵対者をののしるトランプ流で米国は分断を深め、一段と社会の合意を見いだしにくくなっていくだろう。
SNSは選挙制度の土台を掘り崩す。それは国境を越え日本でも兵庫県知事選挙の混乱に象徴的に表れた。内部告発への知事の対応と資質を問う選挙が、SNS戦略を展開するPR会社も介在し、改革派知事対旧体質の県議会とマスメディアの争い、という構図に変えられてしまったのが混乱のもとだ。
「人間社会の発展は、人々が互いに協力し合えるかどうかに全面的に依存している」――ダライ・ラマ14世の法話の一部だが、ネットが「類は友を呼ぶ」ように人々をグループ化し、壁をつくる部族社会に誘導しかねないとの指摘もある中、含蓄に富む言葉である。