歴史なき時代
2年前のちょうど今頃、真宗大谷派教学研究所の名和達宣氏に翌年に迫った真宗の立教開宗800年に対する所感を問うと「現代は末法のど真ん中」と強調した◆法然が提唱した専修念仏の教えは「末法の時代には念仏しかない」という歴史観を背景にしている。名和氏は現代を「『近代以降の時代』といった時代区分ではなく『より末法が深まった時代』と考えたい」と述べ、親鸞の「衆生減尽」の考えを引いて「真に教えを聞く人がいなくなってしまう」ことへの問題意識を披歴した◆法然門流教団は大衆教化に軸足を置くためか「現代に即応した伝道」を積極的に議論する。ただ、その前提は「戦後」「21世紀」「IT時代」等の通俗的な時代認識であるし、布教現場でも「末法」を語る僧侶は少ない。それなら念仏でなくても優れた宗教はほかにいくらでもある◆真宗では昨年、浄土宗では今年、立教開宗800年と850年の諸行事が営まれた。慶事として微温的に消費され一時的に救われた気になっただけで終わった……とまではさすがに思わないが、「なぜ念仏なのか」「念仏で本当に救われるのか」といった問い直しがあったのかといえば心もとない◆現代は過去の出来事を巡る文脈への認識が社会から消えつつある「歴史なき時代」との指摘もある。「歴史をいかに語るのか」は法然門流に限らず、宗教界の重い課題だろう。(池田圭)