本願寺と能楽文化 ― 式能の伝統(1/2ページ)
真宗大谷派宗務所内事部嘱託 山口昭彦氏
昨年10月、芸術系の大学として日本最古の歴史を持つ京都市立芸術大(赤松玉女学長)が西京区から京都駅東側の崇仁地区に移転した。その移転を祝う記念の「祝賀能」が去る5月3日に新築なった大学の堀場信吉記念ホールで行われ、松井孝治京都市長を始め関係者や一般の観覧希望者が鑑賞し、迫力ある熱演に感動されたとのことである。
今回の「祝賀能」では、「翁付高砂」が上演されたのであるが、狂言方による「松竹風流」とワキ方による「開口」という特別な祝言の演目が行われた。
「翁」は、「能にして能にあらず」と言われるように正式な演能の仕方である「式能」の最初に演じられたり、正月や慶事の能の初めに行われたりする祝言の儀式的な曲である。
「松竹風流」は、松の精と竹の精が慶事の目出度さを述べ舞うという、やはり祝言の演目であり、「開口」は「高砂」の冒頭、ワキが祝賀の能の趣旨と慶事を寿ぐ詞章を謡うものである。
特に「開口」はその演能ごとに「開口文」と言われる儀式や行事の意義に沿った祝言の詞章が特別に制作されることになっており、天皇の即位礼や江戸幕府の将軍宣下などの重大な儀礼に伴う「式能」において行われてきた。
また、その詞章の結句には約束があり、禁裏(宮中)においては「御代とかや」、将軍家は「時とかや」、国持大名では「国とかや」と定められていた。
今回の京都市立芸術大の移転記念の「祝賀能」は、東西本願寺が後援されたが、京都において「式能」や「開口」の伝統を継承してきたのが本願寺であったからである。
東西本願寺では、宗祖親鸞聖人の50年ごとの御遠忌法要において「式能」が行われ「開口」が謡われていた伝統があった。
東本願寺においては、2011(平成23)年の宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要において祝賀の「翁付高砂」を上演し、「松竹風流」と「開口」も行われる予定であったが、直前の東日本大震災の発災により中止となり上演の機会を失ったのである。
そのため、京都において伝統を保存する必要を感じられていた金剛流宗家金剛永謹氏と京都市立芸術大日本伝統音楽研究センターの藤田隆則教授らの尽力により東本願寺において上演されるはずであった「松竹風流」と「開口」の入った「翁付高砂」が大学移転記念の「祝賀能」として行われたのである。
「開口」は短い詞章ながら非常に重い扱いであり、上演当日まで他に知られてはならず声に出して稽古もできなかったと伝えられている。また、誤読や絶句すれば流罪や切腹を覚悟しなければならないほどであったともいう。