宗教情報の虚と実 宗教者は自らを発信すべき(4月2日付)
今年は1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起こって、30年目の節目の年である。新聞やテレビでは、これらを振り返る特集記事や番組が現れた。
宗教について言うなら、阪神・淡路大震災の際には多くの宗教が教団挙げて、また寺院や教会単位で、さらには個人単位で災害支援活動に当たった。こうした活動は一般のメディアでは一部を除き、わずかしか取り上げられなかった。一方、地下鉄サリン事件では、それを起こしたのが過激な一カルト教団だったにもかかわらず、まるで宗教教団が全て悪であるかのような報道も見られ、人々の間に宗教不信を強く印象付けることになった。
このような宗教報道は、宗教に対する普段からのメディアの偏向姿勢の表れにほかならない。一般国民にとっては、宗教について良い情報は入らず、悪い情報ばかりが入りがちになっているのは残念なことだ。これに対して、宗教教団側は自前の機関紙(誌)で震災支援活動を大きく報道し、またカルト教団に対する啓発活動を強化するなど、情報発信に力を入れた。30年後の今日、宗教を巡る情報の溝はどこまで埋まるようになっただろうか。
近年では、SNSの普及により、一見そうした情報の溝が埋まりつつあるように見える。しかしながら今度は、安易な情報発信により、人々の耳目を集める情報ばかりが流通し、それを信じてしまう人々が現れてきた。偽情報や根拠のない陰謀論が数多く出回り、AIがこれらの生成に拍車をかけている。これにより、宗教教団のイメージが以前よりもいっそう偏向された形で受け取られる可能性さえ出てきている。
仏教説話に「群盲象を撫でる」という寓話がある。これと同じように、正しい宗教情報というものは、なかなか人々に伝わらないものかもしれない。しかし、いろいろな角度の情報を精査し総合していけば、断片的な宗教情報であっても、それがジグソーパズルのように組み立てられて、精度の高い宗教知識に至ることは可能だろう。当然、その過程では信頼性のない情報は排除されていく。
ただし、それができるのは、ひとえに受信者側の情報リテラシーと宗教のファクトチェック能力にかかっている。そしてそのためには、発信者の宗教者側からのアプローチも大切だ。寺院や教会の門を開け、積極的に自己の姿を人々に見てもらうことにより、あるがままの宗門や教団を知ってもらう努力が求められるゆえんである。