人と森林との深いつながり 文化としての林業(9月13日付)
国連のSDGs活動と連携して1次産業とマッチした持続可能な社会構築を目指す「家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン(FFPJ)」の主催で森づくりについてのセミナーが開かれ、「人間と森林との関係」を幅広く深く考察する視座が参加者に共有された。
国土の大部分が山林のこの国では、人は大昔から森や林と様々に関わってきた。しかし、パネリストの佐藤宣子・九州大大学院教授(林業経済学)は現在、学生の多くが紙の原料が木材だと知らず、食べ物を生産する農漁業に比べて「木を伐る林業は環境に良くない」と単純に考えるという驚愕の実態を紹介した。背景には、主に用材生産だけを目的にした企業などによる大規模な商業的林業が大多数を占める現況がある。
山中で機械化して大量伐採をするには、重機だけでも1億円以上の初期投資が必要という事情があり、規模の小さな個人経営は林業全体の1割強しかない。だが、ごく小規模で真にエコロジーな運営を目指す「自伐型林業」という営みも増えており、若者の参入も多いという。短期の収入獲得だけでなく100年単位での森づくりを視野に入れている。
ここには森を単に資源供給場所と見るだけではない、自然のいのちと触れ合う「文化」としての林業がある。建築用材だけでなく、「木地」から作るこまごました木工品、山菜やキノコなど多彩な食材、渓流の魚や森の鳥、動物との関わり、そして皆伐による土砂崩れなどの災害を防ぎ、森林の保水力を維持する取り組みも彼らによって進められているという。
多くの若い消費者が頭も尾もない切り身の魚しか知らないのと同様、スーパーに並ぶシイタケなどキノコのほとんどが工場での生産物という現状に対して佐藤教授は、「木偏」や「草冠」「竹冠」の漢字から人と森林やその植物との関係を思い起こすことを提案する。
確かに、例えば「柿」「菜」「菓」など食べ物にとどまらず、「薪」など浮かぶものは数多い。「筆」や「笛」「笙」はもう、伝統文化そのものである。そこには当然ながら宗教も含まれ、「榊」や「樒」といった字の成り立ちに想像力を刺激される。
そして、例えば京都に昔からある数々の神社などの広大な「鎮守の森」。山から伐り出した薪である護摩木に願い事をしたためて山上で焚き上げる盆の「五山送り火」を想起しても、人々の祈りや願いが古来、森林と密接であったことに思い当たるだろう。