支える姿勢を巡って 「自律」を「支縁」する(5月22日付)
福祉や医療関係でケアの仕事をする専門職たちの研修会で、人を支援する、寄り添うとはどういうことかについて論議が高まった。災害被災者への支えも含め、どのような立ち位置で相手に接するのか、講演で示された宗教者による活動も含めてあらゆる分野に共通する大事な問題意識だ。
岡山県で各種障がい者施設や関連サービスを広く手掛ける社会福祉法人の事務局員が、地域と協調しながら入所者をケアし、就労や自立生活を含めて支えてきた経緯とその課題について報告した。
多人数の施設は運営や職員の都合で入所者の生活を細かく一律に管理する傾向があるが、少人数のグループホームもケアが手薄だったり単に“小さな施設”だったり、問題のある例も多い。一方で「自立のため施設から地域へ」とステレオタイプに言われる町での暮らしも、「自己責任」と言わんばかりの不十分な支援で退所すれば、立ち行かなくなるケースもある。
肝心なのは施設かホームか自活かではなく、利用者がいかに生き生きと暮らせるかを第一に考えて法人が関わることだという。具体的には場所がどこであっても、個々の障がい者一人一人に合わせ、自分でできること苦手なことを知った上で、本人が継続して頑張れる状態を、できない時にはいつでも助けを求められる状態を提供する選択肢を保障することだ。
それは、「全て自分で」の〈自立〉より、「他人の力を借りながらの自己実現」としての〈自律〉と表現される。「プロ」として高みからの視線ではなく、あくまでケアされる側の主体性をまず重視するという姿勢であり、そこには「縁あってのお付き合い」という立場の対等性がある。
講演ではカウンセリングの資格を持つ僧侶のエピソードも紹介された。自信満々で医療機関に傾聴に訪れたが、入所者の高齢女性に「あんた誰や」と訝しがられる。困って、「近所から来ました」と答えると、「なんや近所の兄ちゃんか。私の話聴くのもええけど、嫁さんの話も聴いたりや」と返され、こわばった肩の力が抜けたという。「自分の力とか立場じゃなく、評価するのは相手の方だ」と。
同様に災害支援の現場でも、物資配給で被災者の希望を聞く僧侶は、「選べるのが人間らしい生活の基本」と仮設住宅でのカフェでも必ず数種類のケーキを用意する。そんな傾聴活動を「“支援者”などといった肩書じゃなく、こうしてご縁ができたから対等にお話ができる」というその姿勢には、〈支援〉よりも〈支縁〉こそが似つかわしいだろう。