公益信託法の改正と宗教団体(1/2ページ)
関西学院大名誉教授 岡本仁宏氏
公益信託法が、今年4月に改正され2026年4月から施行される。この改正は、宗教団体にとっても大きな意味を持つはずである。簡単に解説してみたい。
日本では信託といえば、投資信託などを思い浮かべる人が多い。資金を株などで運用して収益を得るため信託銀行の専門家に任せたい、という場合などがこれに当たる。つまり日本では、もうける仕組みとして信託は知られている。しかし、信託(trust)という仕組みははるかに多様に使える長い歴史を持つ重要な法制度である。
例えば、ある方が死の床についておられるとしよう。それほど信仰心があるわけではないが、死を間近に感じ、何か善行をし少しでも心安らかにあの世に向かいたいと願った。自分の遺産を出身地の地域の貧困な方や親を早くなくした孤児たちのために使ってほしい。そう考え、死の床に付き添う方、聖職者であれ知人であれ、信用できる人に財産を託する(trust)最後の願いをしたためた。こんな時こそ公益信託の出番である。
もちろん、独自に公益財団法人を作ったり、既存の公益財団法人や社会福祉法人などに寄付することもできる。しかし、財団法人を作るには手間や維持費用が掛かりそうで、既存の公益法人が思った通りに使ってくれるか不安がある。経営不振で倒産したらせっかく寄付した財産もなくなってしまうかもしれない。公益信託はこんな不安に応えられる制度である。
1、公益法人制度改革の展開として
公益信託法は1922(大正11)年に制定されて以後長らく死文化していた。しかし、関係者の尽力で77年度(昭和52年度)に初めて許可され、80年代、90年代には年間160から170件ができた。しかし、その後衰退し、令和6年度末では合計378件に過ぎない。この停滞には理由がある。
周知のように公益法人制度改革によって、公益法人の設立については従来の許可主義・主務官庁主義から離脱した。しかし、公益信託は同様の許可主義・主務官庁主義が改革されず残っていた。
2008年施行の公益法人制度改革は、宗教法人界では必ずしも歓迎されていたとは言えないだろう。しかし、民間の非営利セクターにとっては非常に大きな大改革であった。それまで「公益国家独占主義」(星野英一)と言われたように、明治民法以来、公益は国家の役人だけが知っており民間人はその許可と監督を仰がなければ法人格も取れない国家官僚制主導の体制が続いていた。公益法人制度改革はここからの離脱であった。
株式会社などの営利目的の法人が容易に取得できたことに比べてみれば分かるが、「民間は金もうけをしてもらえばいい、公益は国が担うから」という仕組みだった。これは分かりやすいかもしれないが、「公益を担うのは官僚だけでいい、あとは役所の許可で設立を認めてやる」という開発独裁的な体制だったと言ってよい。やっと、民間の自由な発想に基づく公益活動が官僚支配から解き放される基盤が、特定非営利活動法人促進法や一般法人法・公益認定法など、世紀転換期の非営利法人制度改革によってできたのである。
ところが、実は公益信託は同様の「公益国家独占主義」的仕組みがこの4月まで続いていた。公益信託法の基礎となる信託法の改正はすでに06年に行われ翌年9月に施行されている。当時、公益認定法の改正作業が進んでいたこともあり、公益信託法改正が先延ばしになった経緯があった。今回、やっと公益認定法の大規模改正と並行して、公益信託法の改正が実現を見たのである。
2、公益信託法改正の大きな意味
さらに、この改正は、左記の主務官庁主義・許可主義からの離脱以上の意味がある。
第一に、公益法人並みの税制優遇のある公益信託でも、その受託者が信託銀行など以外に開放されたことである。つまり、特定非営利活動法人や宗教法人、さらには一般企業も公益信託の受託者になる道が開かれた。もちろん大学でも助成財団でも美術館などでもいい。また、信託財産の運用を担う信託銀行と事業を担う別団体が、共同受託する場合もあるだろう。