ハンセン病の歴史に学ぶ 救いの拠り所としての宗教
東京工業大教授 弓山達也氏
1年前の本コラムで述べたが、ここ数年、講義でハンセン病関連の文献を読み、施設訪問を行っている。今年も院生たち4人と5月、6月に多磨全生園、草津の栗生楽泉園を訪問した。
相前後して全生園内の日本聖公会の教会が七十余年の歴史の幕を閉じたという報に接した。多い時は80人を超えた信者は、現在6人だという。教会だけではない。新たに国内で発症する可能性がほぼないハンセン病の療養所は高齢化と入所者減に直面している。全生園自体、1500人以上いた入所者は、100人を切った。
先の聖公会は草津の聖バルナバ教会が国策で楽泉園に組み入れられた際の移籍者によってはじめられた。楽泉園も約1300人いた入所者は30人程度になっている。入所者がいなくなった後のことを療養所職員にお聞きしたら、大学医学部との連携や地域医療としての活用など、いくつかの案があるものの、決まってはいないらしい。
世界遺産化構想のある瀬戸内の3療養所以外、全国10国立療養所は同じような状況なのだろう。一昨年10月、中国地方弁護士会連合会が国に対して、療養所内の歴史的な建造物、史跡、公文書の保存・活用のための適切かつ迅速な施策を求める提案をしているほどだ。
今回訪問した草津にもハンセン病を学ぶことのできる諸施設が点在し、これらを結ぶツアーができないものかと思う。出発は草津バスターミナル内にある町立温泉図書館だ。名前から観光地の時間潰し場所のようだが、ハンセン病関連の書籍・資料が充実している。ここからかつては多くの病者が集った御座の湯(温泉街の中心)を通り西に向かうと、ハンセン病者が集住した湯之沢地区で、ここには聖バルナバ教会が併設する教会創始者のコンウォール・リー女史の記念館がある。さらに西に進むと楽泉園で、地域の歴史や療養所内の暮らしを学べる社会交流会館、懲罰用施設である特別病室を再現した重監房資料館がある。
四つの施設を結ぶと5㌔弱で歩くと1時間ほどである。ハンセン病者たちが治癒を求めて集まった草津の薬湯、明治初年に強制的に移住させられた湯之沢地区と大正期にそこに根を下ろした教会、昭和の国策で地区が解体され再びの移住・隔離先となった楽泉園を、つまりハンセン病の近代を歩いて回れるのだ。
この構想を、「リーかあさま記念館」の解説者に僭越ながら提案したところ、年に1回同様のことをやっているが、語れる人がいなくなりつつあるとのこと。自分が動けなくなったら、次はもう、とも続けられた。
先月、新聞で療養所の協議会の屋猛司会長によるハンセン病を人権教育や感染症への差別・無知を知る機会としてほしいとのメッセージを読んだ。宗教研究者としては、そこに宗教が、かかる差別を助長・固定化すること、逆に救いの拠り所となることも学ぶ尊い機会である点を強調したい。重監房資料館から徒歩7分に東京工業大の火山観測所がある。10月の東京医科歯科大との大学統合で医学的見地からこの問題に関心を持つ同僚が得られるに違いない。そのうえで草津諸施設を歩くツアーを実現したい。