不登校から⑥ 言葉だけでは相手に響かない
不登校問題に宗教者は何ができるのか。ジェリービーンズの体験談に感銘を受けてそのメッセージを広く伝え、また自らも当事者に向き合おうとしている宗教者がいる。大阪府枚方市・金光教枚方教会の四斗晴彦教会長(52)は、教会信徒の男性から孫が不登校で心配だとの悩みを打ち明けられた。神前に取り次ぎ祈るとともに、自分も何かできないかと考えていた時、担当する金光教のラジオ番組でも聴者から「息子が担任の先生と相性が合わず学校へ行けない」との相談を受けた。しっかり取り組もうと書物などで不登校の問題を学ぶ中で、ジェリービーンズの活動を知った。
メンバーが講演や歌で発する「大丈夫」「一人じゃない」という訴え、そしてどんな状況でも自分をも他者をも肯定する姿勢に共感する。そこから宗教者として深く考え、気付いた。「自己肯定感というのは、自己一人だけで完結するものではない。誰かに認められて、自分は役に立っているのだ、自分はここにいていいのだと肯定することができるのです」。そして、ラジオの宗教番組ではこう話した。
「息子さんは学校に行けないくらい思い悩んでおられるのですから、お父さんの『行ってほしい』という思いが息子さんをさらに苦しめることにならないように、心の内にしっかりと寄り添ってあげ、一番の味方でいてあげるのが第一です」
また「将来のためにも学校には行ってほしい」という思いを考え直し、「学校へ行きさえすれば立派な人生を送れるとは限りません。何が立派か決まっているわけではなく、本人が好きな道を見つけて楽しく生きていければ十分でしょう」と。「学校に行かねば」を大前提にせず、違う道もあるということを放送で優しく説いた。教会長として「世間一般の価値、常識らしきものだけにとらわれない、違った世界を提示して差し上げることこそが宗教者の役割です」と言う。
四斗教会長はまた、多くの人に聞いてもらおうと、新日本宗教団体連合会などと協力して大阪で彼らの講演コンサートを開いた。多数の信徒や教団教師らが参加し、メンバーの山崎雄介さんが悩みから自死まで考えた時に母親から「生きているだけでいいんや」と抱き締められたエピソードに心を寄せた。熱い涙の拍手が広がったことに、教会長は「皆同じ弱い人間だ、でもどんなときもあなたの味方でいる、だから独りじゃない、ということが実際のリアルな体験談によって伝わり広がったのです」と振り返る。
その講演で四斗教会長は山崎史朗さんの重い言葉が胸に刺さった。「この活動をしていて分かったのは、いわゆる“道徳の言葉”というのは、自分が愛されて大切にされた経験がある人にしか届かないということです。自分を大切にされなかった人に『他人を大切に、優しくしましょう』と言っても心に入らず理解できません」。だから、そう言葉で訴えるよりもまず、一番近くにいる人を大切に、優しく愛することが大事だと。
四斗教会長は気を引き締め覚悟を語る。「『あなたは生きているだけで価値がある』と宗教者は安易に語りますが、その言葉だけでは相手に響かないのは、なぜ生きているだけで価値があるかが分からないから。人と人との関係性の中でこそ、その思いは生み出される。自分はなぜここにいるのかという問いに答えるのは我々の責務ですが、その問いをとことん掘り下げないと薄っぺらな宗教者になってしまう」
(北村敏泰)