不登校から④ 大事な「自分を肯定すること」
ジェリービーンズの3人が不登校の体験を話すようになったのは、バンド活動を始めてから4年後、20歳になった年からだった。人前に出ることさえ嫌だったのが、演奏を聴いた人に喜ばれるのがやりがいになり、メジャーデビューも夢見るようになる。だがつらい過去を知る人のいない場所で再出発したいと一緒に上京、数多くのライブを重ねて人気者になった。
すると舞台スピーチを求められるようになり、山崎雄介さんがある日、学校に行けず自死未遂までした苦しさを聴衆にとつとつと話した。「過去に向き合って打ち明けることで『人生はやり直せる』と元気な姿を見せようと考え直しました」。それは、かつての自分のようにいじめや不登校に苦しむ青少年が増えていることへ何かをしたいとの思いだった。
3人は実は互いに不登校の理由などを話したことがなかった。しかし山崎史朗さんは「話すことで誰かの役に立つのを知って人生観が変わりました」と言う。「以前は“恥ずかしい過去”と思っていたのが、そうじゃない。その時なりにしっかり生きてきたんだし、人生に無駄なことはないんだと心から思えます」ということだ。
八田典之さんは「僕らは不登校を“乗り越えた”わけではない。今も人前で何かすれば緊張は変わらないけど、何でも慣れ、受け止められることが大事です」とほほ笑む。彼らのメッセージは、大事なのは自分を肯定できること、今は自分の状態が嫌でも、いつか必ず「あれで良かった」と思える時が来るのを信じることだというところにある。
「『僕らも頑張ったのだから、君たちも』ではありません。学校に行くことだけではなく、いろんな選択肢があることが重要です」と史朗さん。「行かねば」が大前提になると、行けない子供は罪悪感に苦しみ、親も「学校に戻ること」だけが解決になってしまう。でもいろんな道があることはすぐに分かる。決め手は「じっくり休むこと。安心できる状態でゆっくり考えること」だと経験から訴える。
同じ不登校の音楽仲間は25歳になってから税理士になりたくてゼロから勉強し、大学を経て願いをかなえた。中学3年まで不登校だったメンバーはそれぞれ社会に出て様々な知識を身に付けた。通信制高校に入り直し29歳で卒業した八田さんは現在、大津市教育委員も務め、「不登校になるとそれ自体が目前の問題になり、その原因に対処すべきなのがすり替わってしまう」と子供のいろんな悩みへの対応について行政に提言を続ける。
3人で不登校児と親の居場所づくりの活動もする。滋賀県米原市での集いには小学生十数人と母親が参加した。雄介さんが子供らと遊ぶ間に母親たちは「夫は理解がなく、お前の育て方が悪いと言う」「学校に行かないと将来困るのではと思うが、子供を苦しませたくない」と互いの気持ちを語り合った。小学5年女児の母親(44)が「嫌がって泣きわめく娘の手を引いて無理やり連れて行ってたのが地獄でした。親の会で、子供の気持ちをそのまま受け入れる方がいいと考えが変わりました」と話す。
小学2年の長男が不登校の母親(40)は「無理に皆と同じように学校に行かなくてもいいと思えた。社会に出たら自分で決められ、他人と違うことの方が大事になるのですから」と応じる。子供らとゲームなどをする雄介さんがうなずく。
こうして「自分を肯定すること」の重みを伝える3人には、教会の牧師に思いを受け止められたという共通の体験があった。
(北村敏泰)