不登校から③ 救えなかった命、僕の肩に…
ジェリービーンズの講演コンサートでは、山崎史朗さんも体験を話す。「僕がこういう活動をしているのは、今まで救えなかった命がたくさんあったから」。史朗さんが小学5年から不登校になった理由は、クラスのある女子に対するいじめだった。女子の身体的特徴を一人の男子がからかうと、多くの児童が同調して「気持ち悪い」とのけ者にした。けがをするまで嫌がらせがエスカレートしたが、元々周囲に溶け込めない性格の史朗さんは「いじめを止める勇気もなく、自分も同じようにされたら怖いと、学校に行けなくなりました」。だが女子はずっと耐えて登校を続けた。
6年になったある日、史朗さんが気力を振り絞って学校へ行くと、同級生が「休むなんてズルいで」と責めるのに、その女子は「心がしんどいから来られへんのや」と言って泣きじゃくった。
「僕をかばってくれたのは、自分も学校で苦しかったからでしょう」。しかし史朗さんがバンドを始めていた16歳の時、その子が自死したことを知った。「もっと仲良くしておれば」。後悔で心が痛み、思いを歌詞にした。「君が生きていることを誰が否定していようと そんな言葉に耳を貸す必要はない」(「Deny」)。その後も、不登校の仲間で親しかった青年が突然飛び降り自殺した。以前にリンチなど激しいいじめを経験していたことが分かった。「僕の肩にはたくさんの命が乗っかっています。だから、何があっても生きてと叫びたい」
八田典之さんは勉強もスポーツも普通にできる子どもだったが、小学6年の時にクラスになじめず、友人関係で悩みを抱えても誰にも相談できず学校に行けなくなった。そんな、ずっと不登校を続けたメンバー3人が音楽活動に入ったのは10代後半。母親らに「不登校児の親の会」に連れられて行くうち、年長者に教えてもらったギターの楽しさにのめり込んだ。引きこもってゲームばかりしていたのが友人もでき、励まし合っての練習で気持ちがつながる。そして親の会の集まりでバンドとして演奏を初めて披露したのが契機になった。
それまで目立ちたくなくて演奏を録音しては仲間で聴くくらいだったのが、会場が歓声と拍手に沸いた。「こんな僕らでも人を喜ばすことができるんや」と山崎雄介さんは胸が震えた。「必要としてもらえたのがうれしく、音楽に救われた」と八田さん。ある男性の「君らすごいオーラがある」との称賛の言葉が3人の支えになった。「これができるからとか根拠が何もなくても誰かを讃える。それが『生きていていいよ』と受け入れ、愛することではないでしょうか」
滋賀県竜王町でのコンサートは、いじめや不登校、自死問題を互いに考える狙いの「じんけんを考えるみんなのつどい」。3人の熱唱と講演に鳴りやまない拍手の中、聴衆の高校2年の女子は「私も苦しい事が多いけど人には言えない。でもこれからは自分だけじゃないって思えます」と話した。
この日が息子の誕生日という40代の母親は「演奏を聴いて、息子が生まれてきてくれたことを本当にありがたく思え、泣けてきました。誕生プレゼントをもらったみたい」、30代女性は「子どもの気持ちを理解する難しさを学べました。もっと丁寧に接していきたいと思いました」と感想を述べた。そして50代女性は「心に刺さりました。私たちにできるのは心の居場所をつくってあげること! いろんな生き方があると認め合うこと!」と。
(北村敏泰)