不登校から① 近所の牧師が母親の意識変える
ミュージシャンの山崎雄介さん(36)は小学5年の時、「不登校」で極度に苦しんでいた。学校に行けないこともだが、その苦しい心境を家族にも誰にも打ち明けられないという孤立無援の気持ち。「なぜ僕は生まれてしまったんだろう」。そんなつらさが募ってある冬の日、11歳の少年は自死を考えた。母親の薬箱から睡眠薬をたくさん手に握って持ち出し自室にこもる。寒かった。広げた手のひらいっぱいの白い錠剤を見て、「飲んだらもう全部終わるんだ」と思ったが怖さはなかった。「皆、ごめんなさいという気持ちしかありませんでした」
しかし薬を口に入れようとしたその時、ドンドンとものすごい音を立てて階段を駆け上がってきた母親の真弓さんが部屋の扉をバーンと開け「あんた、何してるんやっ!」と、手の薬を全て払い飛ばした。「見たことのない形相でした」
そして母親は我が子の小さな肩を激しい力で抱き締める。雄介さんは頭が真っ白になり、全身がガタガタ震えて止まらなくなった。気が付くと、着ていたトレーナーの肩がびしょびしょになっている。ぼろぼろと涙を流す真弓さんは「あんた、学校行かれへんってな、死ななあかんほど悪い事なんか? お母さんは、あんたが元気で生きていてくれたらそれだけでいいんやって!」とかすれ声を絞り出した。
学校生活になじめない不登校、そして社会に適応が困難な引きこもりは全国でも減少する気配はなく、昨年は元高級官僚の父親が家庭内暴力の長男を殺害した事件が衝撃を与えた。事件では40歳になって引きこもる長男の「父さんはいいよね、東大出て」の言葉が親子関係の困難性を象徴していた。
雄介さんのような子供をも追い詰める不登校の問題に親たちは、周囲はどう向き合えばいいのか。雄介さんは不登校経験者として、同様に学校に行けなかった双子の弟・史朗さん(36)、仲間の八田典之さん(38)と3人で作るポップスバンド「ジェリービーンズ」で、演奏と講演によってこの問題への対応を訴える活動を各地で続けている。
雄介さんは低学年から周囲に溶け込めず、感情を表現するのも苦手な子だった。いぶかる級友たちに「迷惑を掛けているのでは」という気持ちでますます落ち込み、本当は明るく遊びたいのにできない寂しさ、それを言えない苦悩が続く。朝、家を出ようとすると腹が痛くなり、母が医者に見せても「異常なし」とされたことから、「本当に痛いのにうそつきと親に思われている」とふさぎ込み、しんどさを口に出すこともできなくなった。
毎日遅刻して登校したが、事情を知らない級友らは「山崎君、頑張りや!」と励ます。その心配が大きな重荷で「何とか行くことで精いっぱいなのに、これ以上の頑張り方が分からへん。皆、ごめんなさい」と苦しんだ。揚げ句に部屋に閉じこもって何もできなくなり、「自分なんかいない方がいい」と思い詰めた。
自死しようとしたのを抱き止められた雄介さんは「母さん、僕生きててもいいんかな」と尋ねた。真弓さんは黙ってうなずき、2人で何時間も泣いた。その後に一緒にみそ汁を飲んだ。インスタントだったが「あれほどおいしいみそ汁を飲んだことはない。いのちが温かくなるって感じでした」。絶望の淵にいた雄介さんが、学校に行けない自分を肯定できるようになったのは真弓さんの寄り添いだった。我が子の不登校に悩み、憔悴していたその母親の背中を押し、意識を変えたのは近所の教会の牧師だった。
(北村敏泰)