いのちの電話⑦ 覚悟決めた「神がしなさいと」
白浜の料理店にある日の夕、仕事を終えた「まちなかキッチン」のスタッフたちが集まった。藤藪庸一牧師やボランティアの若い米国人女性も含めて14人。晴れて独立する仲間、故郷に戻ることになった人の送別会だ。費用はキッチンの売り上げから積み立て、教会での共同生活では止められている酒類も解禁で、好きな料理を注文するとすぐに乾杯の声が上がった。一人が「先生、お祈りは?」と聞く。藤藪牧師の「あ、忘れてた!」でたちまち爆笑が起き、盛り上がった。
共同生活者たちと牧師とのこんな強いつながりはどこから生まれたのか。藤藪牧師は「ただ傍にいること。その人の言うことを本当の話と信じて聞くこと」と言う。電話を受け三段壁に行っても、何時間も説得に応じない人もいた。朝まで全く口を開かないことも。「でも、決して逃げずに一緒にいることで安心される」。そして、その人に関心を持てば「話すことを信じて最後まで聞ける。それで相手にも私を信用してもらえるのです」と。それは共に生活をし始めても同じこと。「関わる覚悟を決めたからには、それしかありません」と牧師は語る。
さらに、信頼を深めるためには二つの道、「無償の愛を示すことと、小さな約束を守ること」があるという。ある男性を現場で遂に説得しきれず、やむを得ず別れた際には「もし本当に死ぬという時は必ずもう一度電話を」と約束を取り付けた。数日たって連絡がないと気が気でない。だが、心配で見に行って出会ったら約束を破ることになるので、ひたすら無事を祈り続けた。何日もして助けを求める電話があった時、牧師は喜びに跳び上がり、「信じてたよ!」と叫んだ。
このような活動を牧師は「自分ができるからしているのではなく、神様に召されたから、神がしなさいと言うからしている」と話す。だが困難も多々ある。かなり以前、保護して1カ月の20代の若者が、牧師は「無理しなくていい」と言うのに自らホテルの仕事に就いた。今度は「自立できるか続けてみて」と励ました。だがしばらくして「職場で嫌な人がいる」と辞めてしまった若者は「大阪の家に帰りたい。兄は重病で大変なので自分はお荷物になるかもしれないけど」と青白い顔で話し、姿を消した。
2カ月後、長崎県の警察から「海で投身自殺した若者があなたの名刺を持っていた」と知らせがあった。藤藪牧師は激しい衝撃を受ける。若者が仕事を辞めた時、牧師はまた「仕事しなくてもいいよ」と応じていた。励ます一方で「言うことがころころ変わると思われたでしょうか」。実家には帰っておらず、「お父さんにも何とおわびしていいか」。死んだのは自分のせいじゃないか、誰にも合わせる顔がないと思う。無力感で活動を、牧師の職さえ辞めようと思った。牧師とこの活動が同義だったからだ。
だが、一緒に皆の世話を献身的に続けていた妻の亜由美さんが「生も死もその人の気持ち。失敗することがあっても頑張ると覚悟は決めています。あなたはそうじゃないの?」と強く問うた。
若者が共同生活に入った時、「何が好き?」と聞くと「ブリの照り焼き」。だが仲間10人全員に食べさせる金が教会になく諦めた。「食べさせてあげたかった」と、その死を聞いて亜由美さんは唇をかんだ。「辞めてどうなる。神がやれと言うのに」。牧師も覚悟を決めた。若者の父親も「必ず続けて」と背中を押した。
(北村敏泰)