核兵器廃絶の訴え 人類の未来を閉ざすな(8月7日付)
8月6日に広島に原爆が投下され多くの市民の命が奪われた。9日には長崎の人々が犠牲となった。79年前のことである。この兵器の使用が人類の未来を閉ざすことは誰の目にも明らかで、1963年には核拡散禁止条約が国連で採択され、95年には同条約の無条件・無期限延長が決定されている。
しかし、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエルなど核兵器保有国は増加し、広島、長崎以後、62年のキューバ危機など、突発的な核戦争の寸前に至った事態もあった。唯一の被爆国・日本は自ら核武装はしないものの、アメリカの「核の傘」に入っている。保守系などの間では核武装論がささやかれている。
昨年5月には被爆地広島で先進7カ国首脳会議が開かれ、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」などが採択され、核兵器のない世界という理想を再確認した。
しかし、世界各地でこの理想を裏切る事態が進んでいる。ロシアのウクライナ侵攻が泥沼化する一方で、イスラエルのガザ攻撃は多くの市民の犠牲者を出し、平和への道は見えてこない。それどころか、核兵器を決して使用してはならない、という人類共有の意識さえ徐々に低下しつつあるのではないか、と危惧される。
広島サミットから1年、広島大平和センターと広島テレビ、読売新聞が全国100人の被爆者に行った聞き取り調査では、複数回答で71人までが「核廃絶から遠ざかっている」と答え、56人が「核の脅威が高まっている」とした(読売新聞オンライン)。
先頃ジュネーブで開かれた核兵器不拡散に関する国連委員会では、バチカンの常任オブザーバーが、核兵器がもたらす人類の「存在の危機」についての教皇庁の深い憂慮を訴えた。同オブザーバーは核兵器関連の軍事費の継続的な増加」と「核兵器使用の可能性に関する言辞と脅迫の増加」を特に指摘した(バチカン・ニュース)。
事実、ロシアのプーチン大統領は戦術核兵器の使用を想定した軍事演習を行うなど、「核の恫喝」もエスカレートしているようにみられる。核兵器使用は決してあってはならないという人類全体の意識の低下の反映であることを深く危惧する。
核不拡散についてさらに声を大にして語ることが必要だ。「核抑止力」の均衡の危うさを考えるなら、核の現実的脅威の前で平和の理想を語ることがたとえ無力に感じられても、それが究極的な破滅を回避する最も現実的で有効な方法であると考える。広島、長崎の教訓を無にしてはならない。