記憶をつなぐ 戦争を抑止するための責任(7月31日付)
戦争が人類の生存にとって悪であることを教える最も現実的な方法は、戦争の記憶を語りつなぐことである。しかし戦争を体験した人々がこの世を去り、直接その記憶に触れた人たちがいなくなると、戦争の現実味は薄らいでゆく。写真やフィルム、文書による記録、文学、演劇、映画等を通して、戦争の記憶、惨禍が世代を超えて伝承されてきたのも事実だが、愚かしいことに人類は、生々しい記憶を失いかけた頃、新たな戦争を招く事態に及ぶ。
戦後世代といっても物の見方や考え方の全体にわたって、戦中世代から多くの影響を受けてきた。日常生活から戦争の記憶が消えたように思われる時でも、様々な事象の上に痕跡は現れる。そして今、私たちは新たな戦争の惨状を目の当たりにしている。戦争を過去の出来事として忘れ去ることはできないのが現実である。
2006年9月に第90代内閣総理大臣に就任した安倍首相は翌年1月の施政方針演説で、憲法を頂点とした行政システム、教育・経済・雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの「戦後レジーム(体制)」を原点にさかのぼって大胆に見直し、「新たな国家像を描くことこそ私の使命」と宣言した。15年8月に発表した「戦後70年談話」は、日本が進むべき針路を誤り、戦争への道を進んだことで「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」に「断腸の念」を吐露し、「尊い犠牲の上に現在の平和」があることが「戦後日本の原点」だと認め、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」と誓った。
論議を呼んだのは「戦争に何ら関わりのない子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」との発言だ。これは「戦後レジームからの脱却」というメッセージを、明確なイメージとして示したものと言える。来年の終戦80年を前に、私たちは、戦争の記憶を風化させないことと、未来世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないとする考えがどういう意味を持つものなのかを改めて問う必要がある。
ドイツの哲学者カール・ヤスパースは第2次世界大戦の敗戦直後、戦争の罪について論じた中で①刑事上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上的な罪――の四つの概念を提起した。確かに人口の8割を超える戦後世代に戦争への刑事的ないし政治的な罪はない。しかし現在の国や社会の一員として、未来の戦争抑止のための責任を担う覚悟はなくてはならないだろう。