震災の記憶伝承 期待される若い語り部(7月12日付)
東日本大震災から年月がたっても、被災体験を風化させないために語り伝えることの重要性は増すばかりだ――。被災地の住職からこのような便りが届いた。被災者に寄り添うそんな宗教者らが希望を見出すのが、各地で目覚ましい動きを見せる若い語り部たちだ。
発生から160カ月になり当時を熟知する大人の伝承者が高齢化する中で、記憶の希薄化が進む。甚大な被害が出た岩手県釜石市の県立釜石高で昨年、全校生徒の防災意識アンケートが行われたが、発生日を2011年3月11日と答えられなかったのが232人中1割以上の28人に上った。
一方で、同市鵜住居の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」では、当時小学生だった20代の女性らがかろうじて覚えている体験を伝えようと熱心に来訪者に応対している。そればかりか同館では、震災3年後の3月11日に生まれ、被災体験の全くない小学4年の少女が母親と共に語り部を務める。
津波で祖母らを失った彼女は家族から聞いた話に衝撃を受け「その日に生まれた意味があるのかも」と研修を受けて伝承者になった。かわいい声で「地震が来たらとにかく逃げて」と懸命に訴える姿はメディアで報道され、能登半島地震も含めて他の被災地の関係者にも勇気を広げているという。
震災を知らないか、ほとんど記憶がない年代でもこのように「いのちの重み」を伝えようと取り組む例は各地に広がる。広大な市街地が壊滅した同県陸前高田市では、廃虚で残る日用品店のビル屋上で、父親と一緒に中学1年の女生徒が「この屋上まで津波が押し寄せたんです」と見学者に語る。当時は生後1カ月で、やはり祖父母らを失った。釜石高では、生徒たちがチームを結成しゲーム仕立ての伝承活動をしている。
原発事故で今なお住民が離散を余儀なくされている福島県では、「富岡町3・11を語る会」の高校生たちが、こども園などで紙芝居を朗読して事故の悲惨さを震災後に生まれた子供たちに伝え聞かせる。宮城県でも、気仙沼市の震災遺構・向洋高旧校舎で、伝承ネットワークの10代の若者50人余りが案内と解説に活躍する。多くの児童と教職員が犠牲になった同県石巻市立大川小の遺構では、当時在校生で生き残った青年、伝承活動で惨事を知った中学生が同じ年代の子供たちに教訓を語り続けている。
こんな流れを後押しするように、各地で小学生らに防災教室を開いている住職もいる。能登半島地震でも同様だが、宗教者にもできることは多いだろう。