日本人初の8000㍍峰14座に登頂した登山家 竹内洋岳さん(52)
8千㍍峰14座登頂を成し遂げた唯一の日本人。子どもの頃から宗教に関心を持ち、山を神と崇めるチベットや日本の信仰を尊重する。立正大仏教学部生時代から海外登山に挑み続け、命を落としそうになったことも。山頂は生命感のない極限の世界であり、人と自然の結び付きの中に神仏があると話す。
有吉英治
エベレストなど標高8千㍍以上の14の山、全てに登り切った時の気持ちは。
竹内 次どこ行こうかなと思いました(笑い)。登頂した瞬間は早く帰りたいという思いが8割を占め、1㍍でも標高を下げたいということだけですね。頂上は空気が一番薄く登山中最も危険な場所ですから。そこにのんびりしたいってことは絶対ないんです。もう何を考えるでもない。戻れるかどうか、それ以外は考えていられないですね。
山で神秘的なものを感じることはありますか。
竹内 8千㍍峰14座の「座」は神が座すという意味なんです。こう表現するのは日本人だけで、英語では単にピーク。日本人には山を神とあがめる習慣というか、遺伝子に組み込まれたものがあるように思うんです。山の頂上は人が入らない神様の領域という概念が昔からずっとあるわけですよね。
日本の北アルプスの山のいくつかは明治維新以降にイギリス人が初登頂したんです。それまでの日本人は山の頂上に行くっていう発想がなかった。登れるのは修験者のような特別な能力を持つ人だけ。人知を超えた神から授けられた能力だと思われていたわけですね。
チベットでも山自体が神様なんです。だから登る前にプジャという安全祈願のお祭りをするんです。ベースキャンプにチベット仏教のラマを呼んで、山に登る許しを請うんです。ほかの国にそんな考えはなくて、特にヨーロッパでは山は悪魔のすみかで、悪魔を成敗しに山に登るってことになり、だから頂上に立つことが「征服」なわけです。
実際に神や仏が感じられる体験をしたことは。
竹内 残念ながらありません。でも山のある地域の人々の生活にはそれを感じます。というのは、やっぱり神様や仏様の存在というのは、自然の中で生きる人々の心と共にあるわけですよね。山の頂上には人がいないので、そこに神はない。山を取り巻く人々の生活と思いがあるからこそ、山と一体化して神が存在するんだと思うんです。
登山中に苦しくて、神頼みをすることはありますか。
竹内 ないんです。とにかく自分の力で行くしかない。これは実際そこ…
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