重文指定に携わる主任文化財調査官 藤田励夫さん (59)
文化庁の京都移転に伴い、5月から新庁舎での業務が始まった。書跡や古文書を重要文化財に指定する業務を担い「修理は京都や奈良で行うことが多く、アクセスが良くなった」と話す。滋賀県、九州国立博物館と活動の場を移しながら、一貫して文化財の保全・活用に取り組んできた。
須藤久貴
文化庁が3月末に京都へ移転し、5月から本格的な業務を開始しました。
藤田 私は5月頭に引っ越しを済ませて、中旬から京都の庁舎で仕事を始めました。単身赴任です。修理される書跡・典籍、古文書の修理過程を調査しながら、終わったものについて国宝や重要文化財に指定する業務に携わっています。指定は年に約10件ほどです。
修理する施設が京都と奈良にあるので、東京にいた時よりもアクセスが良くなり、所有者さんとも、何かあった時に直接相談を受けることができるようになりました。
私の場合、年の半分以上は全国に出張しますが、関西が多いです。ただし、ほかの部門(絵画、工芸など)は必ずしも関西中心というわけではないと思います。
滋賀県文化財保護課、九州国立博物館、文化庁と、職場を移られました。滋賀県ではどのような取り組みをされたのですか。
藤田 文化財はきちんと整理していかなければ朽ちてしまいます。未指定のもので虫に食われているものがたくさんありますが、きちんと整理すれば、文化財として今後も守っていくことができます。
臨済宗永源寺派大本山永源寺(滋賀県東近江市)の「永源寺文書」(8747通)は4年かけて報告書にまとめました。未整理の状態でたくさん残っていた古文書を一枚一枚広げて、大学の先生に来ていただき調査しました。1通ずつ名前を付け、大きさなどの情報を記して目録を作り、最終的には重要文化財に指定されました。
儒学者で対馬藩に仕え、外交官として活躍した雨森芳洲(1668~1755)の関係資料123点も3年かけて報告書にまとめ、重文指定を受けました。長浜市高月町雨森の出身です。韓国の盧泰愚・大統領(当時)が1990年に来日した際、宮中晩さん会で雨森の名を挙げ「『誠意と信義の交際』を信条とした」とスピーチし、江戸時代の日韓友好の歴史や雨森が注目されました。…
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