宗教の価値見直し 地域社会での役割問う(10月9日付)
高齢化と人口減少、そして宗教離れによって全国各地で宗教集団の維持が困難になってきている。これは長期にわたるものだが、この20年ほどの間の変化は新たなものだ。第2次世界大戦後、伝統仏教と檀家の結び付きは弱まってきてはいたが、一方で都市地域を中心にキリスト教や新宗教の所属人口は増えていた時期もあった。
だが、21世紀に入って新宗教やキリスト教も含めて、宗教教団の所属人口の後退は著しい。これは欧米諸国も共通の傾向だ。では、人類は宗教を求めなくなっているのだろうか。アジア、アフリカ、中南米の諸国まで含めると、宗教離れとは必ずしも言えない。欧米、アジア諸国でも、無神論、唯物論を支持する人が増えているわけではない。ブッダやキリストやムハンマド、空海や親鸞、道元や日蓮への敬意は大きく後退しているとは言えないだろう。
問題は宗教団体と人々との間の関係の在り方である。宗教組織に所属し、頻繁に宗教施設に出入りするというような在り方が好まれなくなっているのだ。では、個々人がそれぞれ勝手に宗教について学び、習得し、また実践すればよいのかというとそういうものでもない。地域社会において宗教が一定の役割を果たし、人々は折に触れ、それに参加するというような関わり方が求められているのだ。
実際、人々の学びや社会参加の場として宗教施設が機能する例が増えてきている。これは人々がますます孤立しやすくなっているという社会の側の問題状況とも関わっている。宗教施設がこのような社会の側の需要に応じるように機能している例が増えてきている。
分かりやすい例は子ども食堂だ。貧困な家庭、仕事で忙しく子どもの食事を準備する時間がない親にとって子ども食堂は大変助かる施設だ。これは子どもだけではなく、高齢者や障害者、外国人など孤立しやすい人たちにとっても助かる場所となることが多い。この子ども食堂は2012年に始められたが、23年には全国で9千カ所を超えるに至っている。その中にかなりの数の宗教施設が実施している例が見られる。
東日本大震災で災害支援の活動をしてきた宗教者が子ども食堂を始めたり、ホームレスへの食事支援活動に参加する例もある。これは地域社会に宗教の力を伝える上で大きな意義を持つものだ。こうした活動の存在を知り、それに加わり、そこから宗教の教えに親しむようになる若者もいる。これは一例に過ぎないが、地域社会における宗教の役割という点で示唆するところが大きいものだ。