阪神大震災から30年 培われた宗教者の支援力(1月8日付)
新しい年を迎えたが、昨年元日に起きた能登半島地震の被災地の人々はどのような年賀状を書いたのか、あるいは書くこともできなかったのか、心が痛む正月だ。復興の遅れで放置された全壊家屋には、なお1年前の賀正の飾りがついたままの所もある。そして一方で間もなく阪神・淡路大震災から30年の日を迎える。
かの1995年には年間延べ137万人が被災地を訪れ「ボランティア元年」といわれた。その精神は社会で引き継がれ、2004年の中越地震では同9万人、11年の東日本大震災では550万人、16年の熊本地震では12万人が支援の手を差し伸べた。
これに対して能登半島地震では、9月の豪雨水害も含めて14万人。被災地域の規模の差があれ、発災から1カ月間でも1日平均2万人が入った阪神・淡路大震災とは雲泥の差だ。これは被災地の実情を細かく見ず、雑な判断でボランティア自粛を要請した石川県知事や政府高官の発言によるものであり、影響はずっと継続した。そのことが被災家屋公費解体やインフラ復旧など公的支援の遅滞に加えて復興の足を引っ張ったと言える。
しかし被害の大きかった奥能登へ行くと、様々な宗教者のグループが目覚ましい支援を年が明けても続けている。地震数日後には、東日本大震災から活動をしている福島県の僧侶の呼び掛けで熊本の僧侶らが能登へ結集した。ほかにも広域に情報共有などで協力しながらの支援が多かった。
この国に頻発する災害を通じて構築された宗教者のネットワークが瞬発力をもって生かされた連帯の力だが、炊き出し材料や機材を即座に準備し、道路事情の困難をものともしないその行動力を行政トップは想像さえできなかったのだろうか。阪神・淡路大震災から寄り添いを始めた僧侶やキリスト者らもたびたび輪島や珠洲に通っているし、新宗教の強力な支援団体は現地に拠点も設けて切れ目ない働きを継続している。
ここで「そのどこに宗教者らしさがあるのか」と阪神・淡路大震災の際に言われた絵空事の論議をはるかに超えた、現実の苦難に密着した姿勢が見られるのは、明らかに彼らの深い信仰が背景にあるからだ。
「そこに困っている人がいるから、行くのが仏教者の当然の使命」「神様が人を助けるために私を使われる」との彼らの言葉には、その行いこそが宗教であるとの確信がある。そしてそれが、この30年間に各地の現場を通して培われてきた宗教者の寄り添いの力だといえよう。