自分事で仏教を考える
大正大 神達知純学長(54)
大正大の学長に1日、就任した。最澄の言葉に「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す」とある。国宝とは人であり、人を育てることは宗祖の志にもかなうことと、教育の大切さを改めてかみしめている。
都内の天台宗寺院に生まれた。中学生で得度していたものの、そのまま住職になることには抵抗を覚え、親元を離れて京都大の文学部に進学。卒業間際に父親が大病を患ったため、有無を言わさず自坊に戻らざるを得なくなり、突如として檀信徒らと接することになった。
その中で、天台教学についての学びの不足を実感。大正大の修士課程に進む決意をしたという。
後に天台宗勧学に就いた多田孝正氏に師事すると、しばしば「僧侶として仏教学に関わること」についての自覚を促された。そのことが、ずっと仏教がどこか人ごとだった自分を見つめ直す一つの契機となった。
終生の研究対象と考えている天台大師智顗が示した「教観二門」についても、今では「ただの学問や知識としてだけ仏教に接するのではなく、実践や生き方の中で仏教を考えていくこと、人ごとではなく自分事とすることの大切さを教えてくれている」と読み解いている。
そうした仏の教えを世の中に伝えていくのが自身の大きな使命と認識。建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に基づきつつ、そこから展開された大正大の教育ビジョン「慈悲」「自灯明」「中道」「共生」に対して現代的な解釈を加えた新しい学力観を、学生らに示していきたい考えだ。
(佐藤慎太郎)