受け継いだ法を次代に
臨済宗大徳寺派大徳寺専門道場 宇野髙顕師家(49)
1973年に大阪府島本町の宝城庵に生まれた。東大寺学園中高(奈良市)を経て立命館大に進学。新設された政策科学部の第1期生として長銀OBの岸本建夫教授のもとで国際社会の諸問題の解決方法を学び、当時、話題となっていた香港の中国返還後の世界情勢の変化も予測した。
僧侶になるとはっきり決めたのは、清田保南・瑞龍僧堂師家を団長にインド仏跡を巡拝した時のことだった。伊深正眼寺で父の天慶住職が清田師家と同参だった縁で参加し、2週間の旅の中で仏教の教えを守り伝えなければという気持ちになった。大学卒業後に南宗僧堂に掛搭し、田島碩應師家に僧侶の基本をたたき込まれ、大徳僧堂に転じてからは髙田明浦管長に16年間参禅し、嗣法した。室号は「慶雲室」。
掛搭してから3年目のこと。「三応」として老師のそば近くで仕えることが決まっていた時に、足の靭帯を切る大けがをして半年以上の暫暇を余儀なくされた。その時に励まし、力になってくれたのが岩月海洞氏(崇福寺先住職)、古川周賢氏(恵林寺住職)の二人の先輩だった。「僧堂で良き先輩に恵まれ、後輩に支えられて現在の私があります。大徳僧堂の家風は、役位から新到まで何でも一緒になって行い、その中で先輩が後輩に背中を見せて教えていくところでしょうか。山本五十六の『やってみせ……』というやつですね」
就任は昨年9月で、師家の交代は実に38年ぶり。「大燈国師のご遺誡を守り、中村祖順老漢(13代管長)、髙田管長から受け継いだ法をしっかりと次世代に伝え、人材を育てることが私の使命です」
(河合清治)