《部派仏教研究の現状と展開⑤》律研究の今(2/2ページ)
東京大大学院人文社会系研究科准教授 八尾史氏
しかしアビダルマ論師たちが読んでいた経典、インド内外の説一切有部僧院で教えられていた経典がいかなるものであったのか、知る方途がないのではない。新たに発見された資料や、かつてはよく知られていなかった資料の研究によって、失われた経蔵に関する知識は着実に拡大しつつある。20世紀の末に発見された『長阿含』サンスクリット写本や、10年前に日本語全訳が刊行された『倶舎論』の経典引用の典拠を示す注釈書『ウパーイカー』はそのような資料の代表といえよう。それらと並んで、さきに名をあげた根本有部律がある。
根本有部律が大量の説話類とともに経典の文章を含むことはつとに知られてきた。筆者は以前「薬事」という章にあらわれる40の経典対応文の調査を行い、ついでそれ以外の部分についても経典探しの作業を続けてきたが、いまだ根本有部律全体に含まれる経典の総数をあきらかにするには至っていない。数え方にもよるのでおおまかな目安でしかないが、現時点までの調査で、一つの経典の大部分に相当する文章が律の中に現れるケースは百数十箇所、これにごく短い引用や非明示的言及までも含めるとすればその数は300近くにのぼる。今後の研究によってさらなる発見があるものとみている。
これらの経典はまた、経蔵・律蔵という聖典の二大集成の成立・伝承過程を解明する手掛かりともなりうるものである。
律研究の直面する課題は多い。思想を主たる対象とする近代の仏教研究において、律は広範な関心を集めてきたとは言い難く、世界的に見ても研究者の数は多くない。文献資料の整備という基礎的な作業も遅々としたものにならざるをえず、専門を問わず多くの研究者が資料を容易に利用できるというような状況にはない。律文献の現代語訳は複数の言語でなされているが、ほとんどは単一の章やその一部にとどまり、一つの律の全体像を得ることは容易でない。
根本有部律に関しては、量からいえば現存サンスクリットテクストの大部分はいまだ信頼できるエディションの形になっていない。それでも章ごとのエディションや訳注は数多くなされており、また2014年のギルギット出土サンスクリット写本影印版の刊行は大きく研究の様相を変えた。20世紀の末に同定されたもう一つの写本断片群も、貴重な情報をもたらしている。チベット語訳については現在チベット大蔵経英訳プロジェクト「84000」によりすでにインターネット上で利用可能になっている章もあり、今後数年以内にさらに多くの章が公開されるものと期待できる。
前述の諸研究の明らかにしてきた根本有部律伝承の複数性は、これまで部派聖典を考える際に漠然と類比されてきたであろう上座部大寺派のパーリ語三蔵が、普遍的なモデルとしては機能しえない可能性を示唆している。ひとことでいえばそれは「閉じたことのない三蔵」の可能性である。説一切有部系の聖典伝承は、ある時点で固定するということがなく、複数化した伝承の末端ごとに際限なく改編され続けていたのかもしれない。それは部派とは何かという問題にも必然的に関わってゆかざるをえないだろう。
部派の実態についてはいまだ不明なことが多い。そもそも部(ニカーヤ)と呼ばれる集団はそれぞれ何によって他から区別されたのだろうか。論書においては部派は当然のごとく特定の教義と結び付けられるが、一方で律の伝承(あるいは律による受戒の系統)を部派と同一視する文脈が存在し、律学派Vinaya schoolという語で部派が呼ばれることすらある。教義と生活規則の伝承という、本来次元を異にするものが部派の概念には同居している。なんにせよ部派を論ずるとき、これら二つの視点に自覚的である必要があることはまちがいない。そしてかつてコレット・コックスが指摘したように、部派とその聖典をそれぞれ固定した単一のものと捉えることはできないという認識に立つ必要があるだろう。
部派仏教研究には教義、僧院制度、説話、聖典伝承といった複数の切り口があり、対象とする時代地域は古代インドに限らない。近世日本の倶舎学も、チベットや東アジアの受戒伝統も、南・東南アジアに生きている上座部大寺派の聖典や実践もまた部派仏教の一部であるからである。インドにおける部派の自己同一性がいかなるものであったにせよ、部派仏教研究は大乗と非大乗、インドとそれ以外といった枠組を相対化する契機をもち、複雑多岐にわたる仏教世界の様相を映し出す可能性をもっている。