悲しむ力の持続と「人間の復興」 ― 東日本大震災と宗教の働き(2/2ページ)
上智大教授 島薗進氏
だが、木ノ下氏はこのような状況だからこそ、宗教者にできることがあるかもしれないと語ってもいた。「もしかすると宗教者なら話せるということもあるかもしれない。人は自由な立場で寺に来るからだ。だから『用心しながら生きていく』『用心するに越したことはない』というようにしている。そうして普通につきあっていくようにしている」。控えめに、また慎重にではあるが、宗教者としての足場を強く自覚しつつ、被災者の心の痛みに寄り添おうとする姿勢を示すものだろう。
原発被災地に限らず、東日本大震災からの5年、宗教の力が再認識される機会が増した。1995年の阪神・淡路大震災では精神科医や臨床心理士に期待が寄せられたが、この度は宗教・宗派を超えた宗教者の寄り添い支援の可能性に関心が集まった。これは震災直後に仙台で設立された「心の相談室」の役割が大きい。仏教・キリスト教・神道・新宗教の枠を超えて、被災者の心の痛みや悲しみに寄り添おうというものだ。
「お坊さんの傾聴喫茶」を掲げる「カフェ・デ・モンク」は、曹洞宗の金田諦應住職のイニシアティブによるところが大きいが、宗教・宗派を超えた支援活動のよい例だ。家族や知人と死別したり、住み慣れた生活環境を喪って不便な仮住まいを続けざるをえなかった被災者の心の痛みに寄り添う活動は、被災者を支える力となった。こうした活動が仙台とその周辺地域で在宅の死の看取りの医療を続けてきた岡部健医師の熱意に支えられていたことも注目に値する。医療の側からもスピリチュアルケアの必要性に認識が高まってきていたことが背景にある。
「心の相談室」や「カフェ・デ・モンク」だけではない。伝統仏教では高野山足湯隊、曹洞宗青年会の「行茶」など、阪神・淡路大震災以後に積み重ねられてきた寄り添い型の支援が多くの参加者とともになされるようになった。キリスト教や新宗教の諸団体の支援活動も多彩に行われ、しばしば宗教・宗派の枠を超えた活動へと展開した。原発被災地域の子どものための保養プログラムも多くの宗教団体によって行われている。
宗教関係者が寄り添い型の支援に大きな役割を果たしてきたことから、新たに「臨床宗教師」を養成しようとする機運も生じてきた。布教と区別がつきにくい特定宗教による支援ではなく、被災者の苦難や悲しみを受け止めて、心の支えの傾聴を行う。そのためには、従来の宗教者としての活動とは異なり、ケアの受け手が主体となるケアのあり方を学ぶ必要がある。だが、心の痛みに寄り添うこうしたケアは、災害のときにだけ必要なものではない。平時からのスピリチュアルケアが求められている。
そこで、東北大学などいくつかの大学で臨床宗教師を養成する講座や教育プログラムが導入された。臨床宗教師の平時の活動は、病院や介護施設に限られるわけではない。地域社会での様々な苦悩に関与する可能性が模索されている。自死念慮者や自死遺族のケア、路上生活者や貧困者の支援、引きこもりや孤立者の支援などだ。実はこれまでも宗教者はこうした活動に取り組んできていた。それらに新たな光が当てられ、再活性化される方向性が見えてきているとも言える。また、恐れられている将来の災害に備えた防災の活動にも宗教集団が積極的に関与する動きが目立ってきている。
こうした新たな動向は、公共空間における宗教のあり方を更新する可能性をもっている。行政や医療・ケア機関も、宗教関係者の参加を認め、むしろ積極的に求めようとする動きも見えてきている。新たに宗教が社会の中で働きを求められている。臨床宗教師の養成に広く関心が寄せられているのも、そうした認識の現れだろう。