円空の祈りと現代仏教の救済 ― 相手の土俵に入り謙虚にケア(2/2ページ)
高野山大客員教授 大下大圓氏
臨床宗教(スピリチュアルケア)とは、最初から布教や宗教的な作法や儀礼を目的とするのではなく、その人のスピリチュアルな苦悩をアセスメントし、その人の人生観、死生観を尊重して、慎重に関わるケアの在り方である。つまり相手の土俵に入り、生活の場で謙虚に心のケアをするのである。
円空は声高に仏教を語ったのではない。もがき苦悩する人々へ、手を差し伸べ、一緒に語り、必要であれば、そのあたりに転がる木々を用いて、簡単な仏像を造って手渡して祈った。病気で死の淵にある人々の枕辺で、「死ぬのは怖くない。光の浄土はもうすぐだ」と神仏の形を見せて、安心を伝えた円空の、そのちょっとした心配りは、まさに生活仏教であり、臨床宗教なのだ。
ホスピスや緩和ケアのプログラムの一つとして提唱されはじめたスピリチュアルケアという概念は、今は「エンド・オブ・ライフケア」という人の人生を集大成する過程の文脈で語られることが多くなった。また終末期だけでなく、救急や出産、介護の現場でもスピリチュアルケアは要請されている。そして今回の震災のような、突然の精神的危機の対応にも必要とされている。
またそういった専門職の養成を目指す諸機関の総意として「日本スピリチュアルケア学会(理事長=日野原重明)」が結成され、学際的な視点から日本での専門的なたましいのケアのしくみや援助法などが検討され、研究を深めている。
さらに後押しをするかのように、震災以後に始まった東北大の実践宗教学寄附講座では「臨床宗教師の育成」に乗り出し、他の宗教系の大学にも臨床宗教教育が準備される傾向にある。公共空間での心のケアをする宗教家の役割が徐々に社会に認められるようになってきたともいえる。
高野山大大学院においても、2015年9月から東京都内で臨床宗教教養講座のサテライト校を開設する。関東圏で宗教者の臨床における社会的実践家を育てることが決定した。宗教家だけでなくスピリチュアルケアや臨床宗教に関心のある社会人を対象にしたキャリアコースの大学院である。
医療や福祉介護現場で、スピリチュアルケアの専門家や臨床宗教師がチームに参画することが求められる時代が到来している。まだまだ実践の報告は少ないが、専門職協働(Inter professional work)の理念においても役割がある。
チーム医療の日本的解釈は、1300年前の聖徳太子が提唱した「龢(和)」の精神にその由来を尋ねることができる。筆者の実践的な試みとして2012年から、川内村から委託された役場職員、仮設住宅住民などへのスピリチュアルケア活動は、震災後の支援のあり方に一石を投ずる。またJR福知山線脱線事故の遺族ケア活動や、京都音羽病院での「医師、看護師、医療社会福祉士のための死生観・スピリチュアルケア教育」などが具体的な動きである。
これらのことから、「①医学看護系大学と宗教系大学との連携(あたらしい日本的死生観・スピリチュアルケア教育の研究と推進)②医療、福祉機関と臨床宗教師との連携(医師、看護師、スタッフの死生観などのリカレント教育)③宗教系大学の臨床宗教師養成(公共と連携できる資質をもった宗教家の育成)」などを提案したい。今後はこれまでの宗派内に限定されていた宗教教育活動が、臨床宗教のネットワークによって公共的な機能をもつ「ソーシャル・キャピタル(社会資源)」として、日本の福祉社会に貢献するものと期待したい。
今後の臨床宗教師の養成は、宗旨や宗派を超えたネットワーク化をはかり、やがて国の施策や公共性の在り方に関与していくことの必要性が求められている。