過疎地域の将来を考える ― 高齢者支える「公共性」を(2/2ページ)
静岡大教育学部准教授 中條曉仁氏
このように、過疎地域では社会関係の創出が高齢者の生活維持を支える要件となっている。私の研究フィールドとなってきた中国山地は、我が国有数の「真宗地帯」であり、特に浄土真宗本願寺派の信仰があついことで知られている。研究対象となってきた高齢者たちは門徒の人々であり、彼らは中国山地の各集落で「村講」とよばれる信仰組織を形成し、仏教壮年会や仏教婦人会の活動にも日常的に参加するなど、寺院と密接な関わりを伝統的に保ってきた。
高齢者たちの社会関係をみていくと、集落内での近隣関係が最も濃密であり、転出子と同等あるいはそれ以上の関係が構築されていた。これは、急を要するサポートの授受には離れて住む子どもより近隣者が頼りにされやすいため、近隣関係を維持することでサポートを得ようとする期待が大きく、実際に有意に機能していた。このような助け合いの構造がみられるのは、いつかは自分もお世話になるという意識があり、地域社会に「つながり」や「信頼」が成り立っているからである。それらを醸成している重要な要素として、日常的な信仰組織の活動が指摘できる。旧来から生活に密着してきた地域組織であるゆえに、成員相互の社会的紐帯が強固という特性がある。すなわち、過疎地域の生活維持を支える要素の一つに、寺院や信仰組織の生み出す互酬性が見いだされるのである。
現代の過疎地域の寺院は、檀信徒の減少に伴う活動の停滞化に直面している。寺院には互酬性を活用した地域社会との協働が求められ、そこに活性化の方向性が見いだされるのではないだろうか。前述したように、過疎地域では平成の大合併以降、新しいコミュニティーづくりが模索されているが、これに寺院や住職が関与する余地がある。寺院には、伝統的に人々が寄り集まることで社会関係を生み出す地域的役割がある。集落の限界化を受けて日常生活圏内の社会的結節点が減少する中で、人々の社会関係を取り結ぶ役割を強化することが求められている。新しいコミュニティーに参加しにくい住民であっても、寺院の活動を通じて参加が導かれるというメリットも見いだされよう。また、転出子が老親の生活や農業、集落の運営を支えている実態が各地で確認され、集落の非限界性という観点で注目されているが、先祖祭祀を通じて転出者と母村とをつなぐ役割も寺院は担っている。
私は、日蓮宗で行われた寺院活性化アイディアコンペの審査に関わったことがあるが、それは寺院の役割を改めて問い直すものであった。全国から寄せられたアイディアをみて、寺院関係者では評価しきれなかった役割を新たに発見すると同時に、社会から予想以上に期待が寄せられていることに驚かされた。
過疎地域で生じているさまざまな課題は、我が国全体が近い将来直面するであろう超高齢社会の課題を先取りする形で出現している。寺院の役割は、それが所在する地域の特性(地理学では「地域性」とよんでいる)に応じて異なり、それを踏まえた活性化の方途が検討されねばならないが、非過疎地域においても大いに参考になることを付言しておきたい。