過疎地域の将来を考える ― 高齢者支える「公共性」を(1/2ページ)
静岡大教育学部准教授 中條曉仁氏
我が国において「過疎」現象が顕在化して、半世紀が経とうとしている。この間、過疎は解消するどころか拡大傾向を示し、中国地方では50~70%の人口減少を経験した地域も存在する。同時に、集落の小規模・高齢化も進んでおり、地域活動が維持できない集落や消滅寸前の集落、すでに消滅した集落すら現れている。これらはいわゆる「限界集落」問題として注目され、これを抜きに現代の過疎地域を理解することはできない。
総務省の調査によれば、2012年時点で高齢化率が50%以上の集落は、全国の過疎地域6万4954集落中9516集落(全体比14・7%)にのぼる。これらの集落では地域活動を単独で維持することは困難とされ、このうち今後10年以内に消滅する集落は中四国地方と東北地方を中心に454集落、いずれ消滅すると長期的に予測される集落は2342集落にのぼるとされている。
過疎化のプロセスには、大きく三つの局面が存在する。第一は高度経済成長期の1950~70年代であり、農山村から工業地域の存在する大都市圏への大規模な人口流出が生じた局面であった。第二は80年代末の「新過疎」と呼ばれる局面で、人口流出の結果、残存人口の高齢化に伴い死亡数が出生数を上回る自然減少の局面である。そして、第三は集落の限界化と消滅という現代の局面である。
このような過疎化の各局面に対して政府や農山村を抱える地方自治体では、治山治水や道路改良などの公共事業を通して建設雇用の創出や交通インフラの整備を図り、また工業の地方分散政策に基づく工場誘致を実施するなど過疎対策に奔走してきた。しかし、2000年以降におけるグローバリゼーションの進展や構造改革は、外部依存型の経済システムに動揺を引き起こすと同時に、「平成の大合併」という大きな地域再編の波を惹起させた。合併は過疎化がいち早く現れた西南日本において顕著であり、02年4月に3128あった市町村は14年1月には1719にまで大きく減少している。
合併から10年を経た今日において、過疎地域では広域合併とは対照的に、空間的に狭い範囲でのコミュニティーの重要性が鮮明化している。これは「新しい公共」と呼ばれ、購買や福祉、交通、教育といった諸サービスの撤退や合併に伴う行政サービスのスリム化に対して、小学校区等を基礎単位に住民組織を新たに形成し、内発的に社会経済を補完する動きが現れている。
ところで、私は大学在学時から島根県や広島県の中国山地をフィールドに、なぜ高齢者が生活条件の不利な地域に多く住み続けているのかをテーマに研究を続けてきた。過疎地域における高齢化率の上昇は、高齢者が地域に多く住み続けていることの所産として捉えることができる。「限界集落」という語に代表されるように、高齢化はとかく地域社会のマイナス要因として語られやすい。
近年の高齢者研究では、高齢者を地域社会のお荷物として捉えるネガティブ・エイジングから、高齢者の主体性を重視するポジティブ・エイジングへとパラダイムシフトしており、高齢化率が高い地域への見方を見直すべき時期に来ている。私は過疎地域のような超高齢社会地域を、豊富な経験や知識を有した長寿の人々が社会経済の担い手として活躍できる舞台と位置づけている。限界集落を、高齢者が生涯現役で活躍する地域社会として捉えたい。そして、高齢化のいっそうの進展が予想される我が国において、過疎地域は高齢社会の先進地域であり、そこでの取り組みは多くの示唆に富んでいる。
研究の中でわかってきたことは、高齢者たちが地域社会において多様な社会関係を構築し、そこから生活維持に必要な手段的・情緒的サポートを得ているということである。もちろんその中には、都市へ転出した子ども(転出子)から得られるサポートも含まれ、有意に機能しているが、日常生活圏での地域活動が社会関係を構築する重要な契機になっている。地域活動の内容は、集落営農や都市農村交流、農業の6次産業化、伝統文化の継承など多岐にわたる。過疎地域には、高齢者の健康や能力に応じて活躍できる場が存在し、それが生活条件の不利な地域にあっても住み続けを可能にしている。
しかし、地域的役割が期待される高齢者ではあるが、加齢という身体的・精神的変化に抗うことは難しい。そこで問題になるのが、いわゆる「2015年問題」である。これは、地域社会をこれまで支えてきた昭和一桁生まれの人々が80歳を超えて、地域社会や農業などからの引退が始まることを指している。ただし、加齢による衰えは個人差が大きく、個々の高齢者の引退には時間差が生じると考えられることから、高齢期に入った団塊世代等の後継世代の確保を急ぐべきことの警鐘として受け止めるべきであろう。