東日本大震災、民俗文化財復活の意味 ― 震災前を震災後につなぐ(2/2ページ)
長崎大准教授 滝澤克彦氏
その点を理解するためには、地域の「震災前」へあらためて目を向ける必要があるのではないか。なぜなら、震災前の地域において、祭りや民俗芸能の一つ一つは、決して個別の完結したものではなかったからだ。それらは、極めてローカルな文脈の中で、生業や衣食住と重なり合って存在していた。祭りや民俗芸能の再開過程を見てみると、そこに「震災前」がはっきり立ち現れていることが分かる。例えば、完全に更地となってしまった集落の跡地を神輿が運ばれるときも、その巡行路は「震災前」の集落の姿をもとに入念に検討される。どこでいつ誰が何をすべきかは、「震災前」の論理を参考に決められていくのだ。当然、元の姿で行うことは難しい。そのため、再開への過程で「震災前」と「震災後」の折り合いが付けられていくことになる。3・11が「震災前」と「震災後」を切断してしまったために、「震災前」の世界は宙に浮かんでしまっていたが、民俗文化財は社会的レベルで「震災前」を「震災後」につなぐ役割を果たしているとも言える。メディアを賑わす「復興」や「前へ」という言葉は未来を志向するが、被災した民俗文化財の復活にかける思いは「震災前」と「震災後」という二つの世界へ向けられていることに注意する必要がある。
災害後の「いち早い再開」は、むしろ地域の先行きに対する不安の反映でもある。集落はなくなるかもしれないが、せめて祭りや民俗芸能だけでも残したいという思いである。逆に、筆者が調査を担当した地域では、祭りの再開へ向けた動きはいまだ見られないが、集落がまとまって仮設に入り、そのまとまりが集団移転先へも維持されることが決まっている。祭りの再開に対する動きの遅さは、消極性というよりも、むしろ祭りを今すぐにでも復活させなければならないという焦燥がないためであるとも言える。
我々は民俗文化財の行く末をどのように見守っていくべきだろうか。再開は喜ばしいことに違いないが、その背後で人々が模索し、再編し、創造しようとしているところにむしろ注意を向ける必要がある。そして、そのような動きは、祭りや民俗芸能がまったく再開していないところでも少しずつ進行している。例えば、震災から3年が経ち、町内会や消防団、契約会や婦人会などが改編され始めているが、それらは民俗文化財の基盤であり、その変容と密接に関係している。
しかし、このような細かい動きは十分に記録されているとは言いがたい。いまそれを記録することは、10年20年という長いスパンの中で、また来るべき災害への教訓という意味でも、その意義を増していくことになる。
※参考 http://mukeidb.cneas.tohoku.ac.jp/ みやしんぶんDB=本調査事業の調査報告をデータベース化したもの