東日本大震災、民俗文化財復活の意味 ― 震災前を震災後につなぐ(1/2ページ)
長崎大准教授 滝澤克彦氏
東北大学東北アジア研究センターでは、2011年11月から約1年半にわたり宮城県からの受託事業として「東日本大震災に伴う被災した民俗文化財調査」を実施してきた。事業の目的は、宮城県の民俗文化財について震災前の姿と被災状況、その後の復興過程を記録することである。ここでいう「民俗文化財」とは単に国や自治体の指定を受けたものだけではなく、潜在的な「財」としての「民俗文化」を指しており、具体的には神社祭礼や民俗芸能のみならず、それをとりまく生業や衣食住なども対象としている。調査では県内23カ所を選び出し、聞き取りや観察による詳細な記録を試みた。本調査事業を通して明らかになってきたことのうち、ここでは二つの問題について論じてみたい。
一点目は、民俗文化財の「復活」をめぐる二極化傾向である。一部の祭りや民俗芸能は、ネット上でのアピールや報道をきっかけとしてボランティアや資金が集まり、かなり早い段階で再開に漕ぎ着けている。また、その様子が報道されることでさらに支援が集まるという好循環もあり、場合によっては震災前よりも活発になっているほどである。しかし一方で、他の多くの地域では、中断したままその再開の見通しも立っていない。
このことは、集落そのものの持続に対する不安と深く関係している。特に災害危険区域にあたる場所では、住民の移転に伴い集落そのものが消滅してしまう場合もある。12年度に調査対象地域の神社に対して行ったアンケートによると、祭りの再開について「4年後くらいまでに」や「3年経過後に再検討」という回答が見られた。このような判断の保留には、生活の再建が先で祭りどころではないという実情もあるが、一方で、再開の意志があったとしても、地域の今後が定まらないまま再開させてしまうことに対する不安も強い。
例えば、現地再建した人々と移転した人々がこれまでと同じように「部落」(東北地方で帰属する地域単位を指す)としての祭りを続けていくことができるのか、また、集団移転する場合でも神社を移転先に移すべきかどうかなど、さまざまな検討課題が待ち構えている。
当然ながら、同じ問題は民俗文化財を復活させた地域にもある。祭りや民俗芸能の再開は、震災後間もない熱気の中で「復興のシンボル」として報じられてきたが、実際には地域そのものの復興はまったく進んでいない。多くの民俗文化財は、ボランティアや資金援助なしでは再開できなかったが、復活させた祭りを今後どのように維持していけるかが課題となってきている。
民俗文化財を復活させないことは、いわば再開に伴うさまざまな問題を回避することでもある。少なくとも現状では、それなりの「変化」を伴わないで祭りや民俗芸能を再開することは難しい。震災後の脆弱な状態にあっては、その変化が地域に大きなインパクトを与え、そこに問題やあつれきを生じさせる可能性もあるのだ。再開に対する判断の保留は、そのような危険性を避ける意味で合理的な面もある。問題は、「いち早い再開こそが復興」という熱気が去り、時間とともに人々の関心が薄れていく中で、再開に対するきっかけを逃してしまうことである。そうならないためにも、支援者や研究者は、10年20年といった長期的な視野でそれを見守り続けていく必要がある。
民俗文化財の再開が、地域の復興そのものを表すのではないとすれば、それは地域にとって何を意味するのだろうか。それが問題の二点目である。多くのメディアやボランティアの視線は、そこに未来への希望を見いだそうとする。地域の人々にとっても郷土の祭りや民俗芸能の復活は、復興へ向けた精神的支柱の一つとなっていることは確かだろう。しかし、その「復興」とは何の復興なのか。地域そのものの復興が進まない中で、あらためて当該「地域」にとってそれらが何を意味するのかを考えてみる必要がある。