「信教の自由」の武器化 危惧される旧統一協会の攻勢
北海道大教授 櫻井義秀氏
NHKの教育テレビ「こころの時代 シリーズ徹底討論9回目 宗教と政治『信教の自由を問う』」(12月29日放送、1月4日再)に出演した。冒頭に、慶応大学の駒村圭吾教授がアメリカ最高裁の判例を事例に「信教の自由が武器化している」と述べた。
2022年、最高裁は女性の人工妊娠中絶権は合憲だとしてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断を示し、中絶の可否を各州に委ねる判決を下した。また、2023年にはコロラド州のウェブデザイナーが信仰上の理由で同性カップルの結婚式に関わるサービスの提供を拒否することを認める判決を下した。
バイデン政権ですら守れなかったリベラルな政策を、トランプ政権が守るはずがない。宗教信条による分断は深刻化するだろう。信教の自由に介入する司法・行政の権限を認めないのが、現在のアメリカである。
これには私も合点がいく。旧統一教会の反転攻勢と軌を一にしているからだ。同教団に対する解散命令請求の審理が大詰めを迎え、今春には判決が出る見込みである。そこで、教団はアメリカで新宗教擁護の論陣を張る学者や法律家を動員し、日本政府が宗教弾圧を行っているとしてアメリカ政府から日本政府に圧力をかけようとしている。
日本からは、丁寧な説明を海外向けに発信することが必要である。今回は、公共の福祉を害する行為を行ったことへの行政処分として宗教法人の認証を取り消されるだけのことで、旧統一教会の信者の信仰は保障され、多数の関連団体はそのままである。
原理的に考えてみよう。信教の自由は憲法で保障されている。何人もそれを侵すことができない。それはその通りだが、共同体や組織、全体社会において個人の自由を保障するためには、他者の権利を侵さない限りにおいて、という「自由の内在的制約」が条件になる。要するにバランスである。
布教行為や献金・寄付を募る行為には、相手の信教の自由や所有権・生存権を侵すことがないように配慮すべきだ。22年に成立した不当寄付勧誘防止法でも明示されている。正体を隠した勧誘や老後資金や遺贈を狙う献金は、社会的相当性を欠く。
この点を無視して、信者の信教の自由が侵害された、教団弾圧だと主張するのは一方的過ぎる。信仰に身を投じた一世信者や二世信者の生きづらさを招いた責任は教団による霊感商法や高額献金にあり、世間の無理解や日本政府のせいではない。
こうした理路を整理し指摘する私に対して教団は誹謗中傷を繰り返し、教団側のSNSを駆使したり、抗議集会を企画したり、海外からロビイング活動によって教団サイドに立つ人たちも出始めている。
自己の信念や感情にのみこだわり、公共性の視点を欠落させるネット・ポピュリズムの時代に、一面的な「信教の自由」を主張し、メディアからバッシングを受け、政府による宗教弾圧の被害者を演じる旧統一教会の戦略は、なかなか侮りがたいものがある。宗教界や宗教研究は、信教の自由とは何かを明確に論じていくべきである。