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指導とハラスメント 自戒を込めて再点検が必要

京都府立大教授 川瀬貴也氏

時事評論2024年5月22日 11時43分

最近、興味深い本を読んだ。中村哲也氏(高知大准教授、スポーツ史)の『体罰と日本野球』(岩波書店)である。この書は戦前からの日本野球史をさかのぼり、いわゆる部活動における「体罰」「しごき」がいつ頃に出現したかを検討しているのだが、実は戦前にはあまり体罰の記述やしごきの記録が見られず(一部、東京六大学野球など人気のあった界隈でその萌芽が見られるらしいが)、一般的には戦後に一気に台頭してくるのだそうだ。

その理由としてかつては「日本の後進性」など、文化主義的な説明もされてきたが、まずは監督を頂点としてレギュラー、上級生、控え、下級生という強固な上下関係が作られ、いわばピラミッド型の組織化が進んでいったことが大きな原因と指摘している。そして戦後は「軍隊帰り」の指導者が多く、彼らは軍隊で自分が受けてきた「鉄拳制裁」「ビンタ」をも辞さずに部員を「指導」した。軍隊出身者が消滅してもその悪しき習慣は再生産され、現在に至っているという。加えて戦後には部活動が盛んとなり、勢い運動部は強豪校のみならずおしなべて「勝利至上主義」となり、多くの部員をふるいにかけるべく部内で体罰や常軌を逸したしごきが正当化され、横行したとも指摘している。

中村氏は文化人類学者のD・グレーバーの言葉を引用し、「しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されていたこと」を「その行為が無意味であるからこそ、誰が上に立つ人間なのかを屈辱的に思い知らせるための儀式」であるとまとめている。ついでに言うと「坊主頭」、すなわち丸刈りが野球部員を象徴する髪型になったのも戦後からである。であるから、そのような髪型の規制をしなかった慶応義塾高校が昨年の夏の甲子園で優勝した時、我々は「時代が変わった」ということを目の当たりにしたわけである。

さて、最近は運動部でも理不尽な体罰やしごきは減少しているだろうが、翻って宗教の現場ではどうであろうか。もちろん、大昔から聖職者を目指す際には「修行」が必須の過程であり、世間から見れば過酷と思われるような修行も一概に非難されるべきものではないだろう。ただ、その「指導」にあたる人間(すなわち上に立つ者)が、自己の権威、権力を意識せずに、グレーバーの言う「屈辱の儀式」を墨守してしまっている、ということはないであろうか。

修行の指導というものは、基本的に修行する者のために「良かれ」と思って試練を強要してしまう、という仕組みなので、なかなか客観視することは難しいと思う。最近、時々取り沙汰されている各教団内でのセクハラ問題は、事実とすればもとより論外だが、宗教の現場は「同じ目的、目標を持つ集団」であり「師弟、先輩後輩など、厳しい上下関係が存在し」「厳しい指導も愛の鞭」というパワハラに親和的な環境であるのは、上記で紹介したスポーツの世界と通底するものがあろう。

そして、これは筆者が属している大学などの教育現場でも、当然同じ問題が首をもたげている。比喩ではなくまさに「自戒を込めて」ここに記す次第である。

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